協会、動く
ゲートの奥で、爪が床を引っかく音がした。
奥の方に、赤い目がいくつも光っている。
2階の見学席が、わずかに動いた。
レンは動かなかった。
(立ってりゃいいんだろ、立ってりゃ)
ゲートの縁に、影が重なる。
ミオが息を吸ったまま止める。
2階の記者がペンを握り直した。
赤い目が、線の内側へ滑り出る。
1つ、2つ、3つ、4つ。
(向こうから来るなら、楽だ)
4体の獣が、一斉に床を蹴った。
先頭の1体が、レンに飛びかかる。
距離が3歩になった。
その1体が、急に止まった。
鼻先が、レンの靴のつま先に触れそうなところで、空中で固まる。
後ろ足が、ばたんと床に落ちた。
そのまま、腹を床につけた。
2体目が横から飛び出した。
距離が2歩。
同じところで止まる。
前足を伸ばしたまま、床に倒れ込む。
3体目。
距離が1歩。
止まる。
尻尾を巻いて、頭を床にこすりつける。
4体目は、レンの5歩手前で足を止めた。
ぐう、と喉が鳴る。
床に腹をつけなかった。
後ろ足を浮かせたまま、じりじりと後退りする。
距離が10歩、20歩と開く。
4体目は、会場の隅まで下がって、そこで震えて動かなくなった。
試験官がクリップボードを下げた。
手が止まっている。
見学席が静まり返った。
2階の記者が、メモ帳を握りしめたまま固まっている。
胸当ての男が、かすれた声で言った。
「……なんだよ、あれ」
さっきまで腕を組んでいた男だ。
今は両手がだらりと下がっている。
「やらせの、はずだろ」
ロゴ入り手袋の男が、自分に言い聞かせるように言う。
声が震えていた。
レンの斜め後ろの受験者は、唇を噛んだ。
さっき、「あれで受けに来たのかよ」と言った男だ。
今は、その言葉を飲み込んでいる。
レンのヘルメットから目が離せない。
黄色いプラスチックの丸みが、やけに大きく見える。
誰も、さっきの陰口を続けない。
聞こえるのは、ミオのカメラが拾った、小さな通知音だけ。
コメントが流れるたびに、ぴ、ぴ、と微かに鳴る。
レンは3人に気づいていた。
何も返さない。
レンは中央に立ったまま、足元の3体を見下ろしていた。
ミオが、三脚の後ろで画面を覗き込む。
コメントが、さっきまでの倍の速さで流れていた。
《は?》
《え、立ってるだけで伏せた?》
《やらせって言ってたやつ、息してる?》
《え、これマジで背中の人効果なの?》
《効果ってなんだよ》
《背中の人、一歩も動いてないけど》
「え、待って待って」
ミオが小声で繰り返す。
「……9万」
《やらせ乙って書いた俺の立場》
《謝る》
《切り抜き待ち》
「12万」
「見てねぇ」
「15万超えた! ねえ見た!? 今の!」
「うるせぇ、声」
ミオが慌てて口を押さえた。
試験官が、小さく咳払いをした。
「……こんな結果、規定にありません」
声が、静まった場内に落ちた。
2階の見学席で、年配の男と、部長クラスらしい男と、記録係の女が顔を寄せ合った。
「部長」
「仕込みを疑う声も出るぞ」
「しかし、映像は残っています」
「映像を出して、再度確かめるべきだ」
「偶然かどうか、確かめる必要があるでしょう」
記者が隣に囁く。
「警備用モンスターの件、本当だったのか」
さっき証拠にならないと言った職員が、口を結んだ。
部長クラスの男が、声を低めた。
「もし本物なら、このまま放置する方がリスクです」
年配の男は、まだ決断しない。
レンは足元の3体と、隅で震える1体を順に見た。
それから試験官に顔を向けた。
「はいはい、これで終わりでいいすか」
気だるい声だった。
試験官がクリップボードから顔を上げた。
「……少々お待ちください」
「で、受かったんすか」
試験官の手が止まる。
「報酬は?」
「……それは、後日改めて」
「は?」
「合格とは言っていません」
「受かったんだろ」
「判定は保留です」
「保留ってなんだよ」
2階で、年配の男が立ち上がった。
「これは、正式な調査対象として上に報告する必要がある」
場内がまた静まる。
試験官がクリップボードを閉じた。
「1番の方」
「……はい」
「今回は、協会内の調査対象として扱います」
「正式な認定の試験は、別です」
「別ってなんだよ」
「後日、改めてご連絡します」
試験官はそれ以上、答えなかった。
レンは線の外へ出た。
試験官が列の方を向く。
「では、2番の方」
胸当ての男が、一歩目を出そうとした。
足が、床の上で固まる。
さっきまで軽口を叩いていた口が、半開きのまま動かない。
視線が、レンの背中と、隅で震える4体目を行ったり来たりする。
喉が、ごくりと鳴った。
膝がわずかに震えている。
(さっきまで人のヘルメット見て笑ってたの、どっちだよ)
レンは何も言わずに、ミオのところへ歩いた。
三脚の後ろで、ミオが口を押さえていた。




