協会の窓口で
午後1時55分。迷宮協会の窓口。
レンは自動ドアの前で一度立ち止まった。
ガラス越しに中が見える。
受付のカウンター。
パイプ椅子が4脚。
壁のホワイトボードに今日の予定が1行。
『14:00 聞き取り 十文字様(同行1)』
(同行1)
(ミオのことだな)
5分前だがもう来ている気がする。
根拠はない。
ドアが開くと、いた。
窓ぎわのパイプ椅子に、白いブラウスのミオが座っていた。
カバンは膝の上。
背筋が伸びている。
(珍しい。座り方が仕事してる)
ミオがこちらに気づいて、立ち上がった。
立ち上がったまま、固まった。
「……なに、その格好」
「格好って」
「黄色いヘルメット!」
「ヘルメットはヘルメットだろ」
「あごひも! 結束バンド! まだ3本!」
ミオの声が受付に響く。
カウンターの奥で、電話中の職員が一度だけこちらを見た。
レンは軽く頭を下げた。
ついでにミオも下げた。
声が半分くらい小さくなった。
「っていうか、ちゃんとした服って言ったよね? 昨日」
「これが俺のちゃんとした服だ」
「嘘だ! パーカー全然しわだし!」
「しわは味だ」
「味じゃない」
ミオは額を押さえた。
「あーもう。いい。あたしもう慣れた」
(慣れてねぇだろ。6日だろ)
カウンターの奥から、人が出てきた。
ハサミの人だった。
前と同じ、色の薄いスーツ。
胸に名札があるが、読む前に目が合った。
「十文字さんですね」
「です」
「お待ちしておりました」
職員は深くお辞儀をした。
礼儀正しい。
角度がある。
ミオも慌ててお辞儀をした。
真似なので角度が雑だ。
職員は顔を上げて、レンの顔を見た。
次に、ヘルメットを見た。
あごひもで、止まった。
結束バンド3本。
白い。
新品だ。
1秒。
2秒。
3秒。
職員は何も言わなかった。
何も言わないまま、視線だけが結束バンドの上を往復した。
(言いたいことあるだろ。あるよね)
「……その」
「はい」
「新品ですね」
「直したんすよ。自分で」
「……そうですか」
「また切ります?」
「切りません」
即答だった。
隣でミオが小さく笑いをこぼした。
職員は咳払いを1つした。
「こちらへどうぞ」
何も聞かなかったことにするタイプだった。
助かる。
「あの! あたしも一緒でいいですか!?」
ミオが手を挙げた。
挙手。学校か。
「雨宮ミオさんですね」
「はい! 同行者です! 配信してたのあたしなんで! 昨日、電話で言いましたよね!」
「承知しております」
「じゃあなんであたしに電話くれなかったんですか!」
ミオが食い下がった。
「同行者様への聞き取りは、当日の状況次第となります」
「状況次第」
「本日の内容次第で、後日ご協力をお願いする場合がございます」
「……つまり、今日の感じ次第」
「はい」
「分かりました! いい感じにやります!」
何をどういい感じにするんだ。
職員はもう歩き出していた。
廊下の突き当たり。
職員がドアをノックした。
「面談室でございます」
ドアが開く。
長いテーブル。
パイプ椅子が4脚。
壁に白いスクリーン。
その手前にノートパソコンが1台。
プロジェクターが天井からぶら下がっている。
(映像見るって、マジか)
(1時間、俺の背中と、だらだら見るやつだ)
職員は椅子を2脚引いた。
「どうぞ、お掛けください」
レンは腰を下ろした。
ミオが隣に座った。
膝の上のカバンを抱き直す。
緊張しているのが、横からでも分かる。
レンは壁の時計を見た。
2時ちょうどだった。
職員がドアを閉める。
「では、始めます」
職員がパソコンのキーを叩いた。
スクリーンに映像が出る。
迷宮2層。
天井が高くて、壁がうっすら緑に光っている。
カメラは誰かの背中を映していた。
黄色いヘルメット。
(俺だ)
「こちら、雨宮さんの配信の映像です」
「はい」
「2層の大部屋に入られたのは、午後1時23分ですね」
「そうっすね」
「この時点で、門番は部屋の奥にいました」
「いましたね」
「十文字さんは、何をされましたか」
「立ってました」
職員がメモを取る。
「立って、それから」
「歩きました」
「歩いて」
「立ってました」
職員のペンが止まる。
「……立って、歩いて、立ったと」
「はい」
「それだけですか」
「それだけっす」
スクリーンの映像が進む。
奥の影から、灰色の塊が出てくる。
トラックほどの大きさ。
石の板。
下向きの牙。
黄色い目。
門番だ。
レンは映像の中の自分を見る。
黄色いヘルメットが、動かない。
門番が近づいてくる。
そして止まる。
ひれ伏す。
腹を見せる。
「くうん」
スピーカーから音が漏れた。
職員が一時停止を押した。
「ここです」
「はい」
「門番が十文字さんに土下座をしています」
「してますね」
「心当たりは」
「ないっす」
職員はメモを取った。
ミオが横で身を乗り出した。
「あの! あたしからもいいですか!」
職員が顔を上げた。
「どうぞ」
「この前、1層で会ったモンスターのことも話した方がいいと思うんです!」
「1層」
「スライムです! あたしの配信、4日前の!」
ミオはカバンからスマホを出した。
画面を職員に見せる。
職員はメモを1行足した。
「スライム1、角ウサギ6、岩トカゲ1」
「はい!」
「いずれも十文字さんにのみ反応」
「そうなんです!」
ミオは拳を握った。
職員はレンの方を向いた。
「十文字さん」
「はい」
「この3件について、何か思い当たることは」
「ないっす」
「ない」
「ないです」
職員はメモを閉じた。
「分かりました」
それだけ言って、机の上で手を揃えた。
(終わりか)
(終わりだよな)
レンは腰を浮かせかけた。
「では」
職員が続けた。
レンの腰が止まる。
「施設内で、少し実演をお願いできますか」
(実演)
聞き慣れない単語だった。
「実演ってなんだよ」
「はい。実際に同じ動作をしていただきます」
「同じ動作って、立つやつすか」
「はい」
「それ実演って言うんすか」
「言います」
即答だった。
レンは椅子に座り直した。
隣でミオが前のめりになっている。
「あの! それって、外でやるんですか!?」
「施設内の訓練室で行います」
「訓練室!」
ミオの声が跳ねた。
「撮っていいですか!」
「いえ」
職員は首を横に振った。
「録音も録画もご遠慮ください」
「音だけでも!」
「音も」
「小声でも!」
「声も」
ミオは口をへの字に曲げた。
カバンの上で手を組む。
しょんぼりしている。
(3連敗だな)
レンは職員の方を向いた。
「あの」
「はい」
「謝礼は1万のままっすか」
職員は1拍置いた。
「規定の謝礼は変わりません」
「実演込みで1万」
「はい」
「増えません?」
「増えません」
「ですよね」
「何をやるんすか」
「追ってご説明します」
職員は立ち上がった。
「訓練室にご案内します」
「今から?」
「今からです」
◇
訓練室は体育館の3分の1くらいだった。
床に薄いマットが敷いてある。
壁は業者が塗り直したような白。
隅に水桶と、餌の入ったプラスチック容器が置いてあった。
(なんか、犬の部屋だ)
扉の横に、飼育員の職員が立っていた。
エプロンをしていた。
迷宮協会にエプロン。
(初めて見た)
「お待ちしておりました」
飼育員はぺこりと頭を下げた。
手袋が汚れている。
現場の匂いのする人だ。
ハサミの人のスーツとは、生き物が違う。
「あの」
レンは部屋の中を見た。
「モンスターは」
「はい。今、出します」
飼育員は部屋の奥にある小さな扉を開けた。
迷宮の入り口をそのまま小さくしたような扉だ。
中から、出てきた。
犬くらいの大きさの、丸い塊。
体色は薄い青。
目が2つ。
足が4本で、短い。
尻尾が1本。
その尻尾がぶんぶん振れていた。
「かわいい!」
ミオの声が跳ねた。
丸い塊はまっすぐミオに向かってくる。
足が短いのに速い。
ころころと、ボウリングの球みたいに転がってきた。
ミオの足元で止まる。
尻尾の振りが速くなる。
体全体をすり寄せてくる。
「うわ、うわ! 毛がないのにふわふわする!」
「触ってもいいんですか!」
「はい、触っていただいて大丈夫です」
飼育員がにこにこしている。
ミオが丸い塊の背中に手を置く。
塊は目を細めた。
幸せそうだ。
「へえ」
レンは少し離れたところで腕を組んだ。
(ふわふわは、ないと思うけど)
(毛ないし)
丸い塊はミオへのご挨拶を終えると、次のターゲットを見つけた。
ハサミの人だ。
ころころと転がっていく。
「やあ」
ハサミの人の声が、少し柔らかくなった。
初めて声の温度を聞いた気がする。
塊はスーツの裾にすり寄る。
尻尾、ぶんぶん。
「この子は、本当に人懐っこいんですよ」
「うちの警備用の子です」
飼育員は塊の頭を撫でた。
塊は目を細める。
「この子は、本当に誰にでもこうなんです」
「来た人全員に、こうして寄っていきます」
「1回も吠えたことがない」
「怯えたこともない」
飼育員は自慢そうだった。
「いわば、協会のマスコットです」
「へえ」
レンは壁際から1歩、踏み出した。
飼育員が塊を促す。
「さあ、そちらの方にもご挨拶して」
塊はミオの足元を離れた。
短い足で、レンの方へ向き直る。
1秒。
2秒。
塊は止まった。
尻尾が止まった。
(お)
(止まった)
塊の目がレンを見ている。
レンも塊を見ている。
部屋が静かになった。
遠くで蛍光灯がうっすら鳴っている。
「……あれ?」
飼育員の声がひっくり返った。
「あれれ?」
塊は動かない。
尻尾が下がっていく。
丸い体が少しずつ小さくなっていく。
まるで、空気を抜かれた風船みたいに。
青い体の表面に、うっすらと汗のようなものが浮いた。
「この子が、これ、」
塊は飼育員のエプロンを見上げた。
助けを求める目だった。
犬が初めての雷を聞いたときの目だ。
塊はその場で震え始めた。
短い足で、その場をかきかきする。
逃げたい。
でも、逃げられない。
そういう動きだった。
「ねえ、レン」
ミオが小声で言った。
「あんた、何かした?」
「立ってる」
「立ってるだけ?」
「立ってるだけだよ」
ミオは塊を見た。
レンを見た。
もう1回、塊を見た。
「……うそでしょ」
「俺もそう思うよ」
向こうで、飼育員が塊を抱き上げようとして、塊がさらに縮こもった。
丸い塊は今やボールサイズになっていた。
ハサミの人は平らな声で言った。
「十文字さん」
「はい」
「もう1歩、お進みいただけますか」
「いいっすよ」
レンは1歩進んだ。
塊は床にひれ伏した。
腹を見せた。
尻尾が小刻みに揺れている。
それは尻尾を振っているのとは、違う動きだった。
震えているのだ。
「くぅん」
塊の喉から、小さな音が漏れた。
門番と同じ音だった。
ミオの口が開いた。
「見た!? 今の!」
「見た」
「おなか! おなか出てる!」
「出てるな」
「ねえ、これ、撮れないの、ほんとに?」
「ご遠慮ください」
ハサミの人の声は、平らなままだった。
でも、その手は、素早くメモを取っていた。
訓練室の入口に、人影が増えはじめた。
最初は1人だった。
次に2人。
3人目は廊下の向こうから小走りで来た。
(なんだよ、もう)
レンは塊の前に立ったまま、入口を見た。
スーツの職員が3人。
エプロンの職員が1人。
受付にいた人もいる。
みんな、扉のところで止まる。
中に入ってこない。
(入れよ)
「どうしたんですか」
ハサミの人が入口に向かって言った。
「いや、声が」
「悲鳴みたいなのが」
「モンスターの」
職員が1人、訓練室の中を見た。
床に伏せている塊を見た。
レンを見た。
塊を見た。
「……あれ」
「あれ、ですね」
ハサミの人はメモを取るのをやめない。
飼育員が塊に近づこうとして、やめた。
塊は腹を見せたまま、小刻みに震えている。
尻尾の先が床を叩いている。
トン、トン、トン。
弱い音だ。
「くぅん」
塊がもう1回鳴いた。
入口の職員がざわっと動いた。
「鳴いた」
「あれ、鳴くんですか」
「初めて聞きました」
飼育員が言った。
ざわつきが大きくなる。
誰かがスマホを出しかけてハサミの人に一瞥されて、しまった。
レンはしゃがんだ。
しゃがんだ瞬間、入口の職員が息を呑んだ。
塊も、びくっと跳ねた。
「十文字さん」
ハサミの人の声が、少しだけ速くなった。
「何を」
「何も」
レンはしゃがんだまま、塊と目を合わせた。
合わさった。
丸い目。
涙目みたいに見える。
「べつに」
レンは言った。
「そういうつもりは、ないんだけど」
部屋が静かになった。
入口のざわつきが、すっと引いた。
誰も何も言わない。
塊も、動かない。
レンは立ち上がった。
膝を軽く叩く。
マットのほこりが少し舞った。
「終わりでいいすか」
ハサミの人が1拍置いた。
「……はい」
「実演、これで」
「はい」
「1万は」
「窓口でお渡しします」
「あざす」
「本日の件は、正式に報告書に上げます」
ハサミの人がメモを閉じた。
レンは入口に向かって歩き出した。
職員たちが道を空ける。
自然に、左右に分かれた。
(なんでだよ)
ミオが後ろから付いてくる。
「ねえ、今の」
「何もしてない」
「してたよ」
塊はまだ床に伏せていた。
飼育員がそっと近づいて、抱き上げる。
今度は抱けた。
塊は飼育員の腕の中で、小さく震えていた。
「……こんな反応」
飼育員が震えた声でこぼした。
「見たことない」




