協会から
知らない番号には出ない主義だ。
出たら大体、光回線か保険の勧誘で、たまにバイト先の「今日来れる?」が来る。
バイトは先週切られた。
光回線は引いてない。
つまり勧誘だ。
(出なくていいだろ、これ)
着信音が鳴りやまない。
10コール。
12コール。
(勧誘にしては粘るな)
レンは割り箸を焼きそばに突き刺して、通話ボタンを押した。
「……はい」
「夜分に失礼いたします。十文字レンさんのお電話で、お間違いないでしょうか」
男の声だった。
低くて、平らで、息継ぎの場所まで決まっていそうな声。
「あー、はい。そうっすけど」
「迷宮協会の者です」
レンの手が止まる。
まさかな、が、まさかじゃなかった。
駅前の古いビルの1階。
パイプ椅子で職員がスマホをいじってる、あの協会だ。
「昨日、ヘルメットのあごひもを切らせていただいた者です」
「……ハサミの人」
「はい」
否定しないのか。
「本日の雨宮さんの配信の件でお電話しました。同行者届にご記載の番号に、かけております」
(書いた。ミオに言われて、確かに書いた)
「協会の方で映像を確認いたしまして。2層の門番の部屋の件について、任意で、詳しくお話を伺えればと」
「いや、俺なんもしてないんですけど」
本気で言った。
「承知しております」
「してないのに、話すことあります?」
「事実確認ですので」
「立ってただけっすよ。ちょっと歩いて、立っただけ」
「立っておられましたね」
「それで土下座されても、俺の責任じゃなくないですか」
「責任を問うお電話ではございません」
声が平らなままだ。
(じゃあ何の電話だよ)
「ちなみにインターネット上では、十文字さんは『背中の人』と呼ばれておりまして」
「知らないっす。俺は十文字です」
「存じております」
「じゃあ十文字でいいじゃないですか」
「はい」
はい、じゃねぇよ。
ツッコミが入らない。
この人、ボケてんのか素なのかが分からない。
「実は協会にも、問い合わせが相次いでおりまして」
職員が続ける。
「本日の夕方から、電話が鳴りやみません。窓口の回線は2回、つながらなくなりました」
「大変っすね」
「はい」
「頑張ってください」
「……ありがとうございます」
ビルの1階で、あの職員が受話器を3本くらい抱えて走り回っている。
……想像してみたが、あの人は多分走らない。
3秒くらい、お互いに黙った。
焼きそばを見る。
湯気が弱くなっていた。
麺がソースを吸いはじめている。
(これ、のびるやつだ)
のびた焼きそばは、ただの湿った麺だ。
電話は早く終わらせたい。
「ちなみに当日は、映像を見ながら、当時のご様子を伺います。所要は1時間ほどです」
「映像って、俺の背中でしょ」
「背中がかなり映っております」
「見りゃ分かりますよ」
1時間。
長い。
焼きそばなら、のびて、冷めて、どうでもよくなる時間だ。
「あの」
「はい」
「断ったら、どうなるんすか」
「任意ですので、特に何も」
「じゃあ、いいっす」
即答だった。
受話口の向こうで、紙をめくる音が止まった。
「……はい?」
「面倒なんで。すいません」
「承知いたしました」
承知はしたが声が1拍遅れた。
「任意のお願いを3秒で断られたのは、初めてです」
「3秒もかかってないっすよ」
「そうですね」
そうなんだ。
何なんだこの人。
協会の人って、もうちょい偉そうなもんじゃないのか。
職員は書類を揃えるみたいな間を置いた。
「なお」
「はい」
「聞き取りにご協力いただいた方には、規定により、謝礼をお支払いしております」
「……謝礼」
「1万円です」
レンの割り箸が焼きそばの上で止まった。
(1万)
(時給1,100円で……)
計算する。
9時間。
9時間分。
それを、1時間座って話すだけで。
「行きます」
「先ほど、お断りいただいて問題ないと」
「行きます」
「……」
「それ、現金すか」
「その場で、現金でお渡しします」
「行きます」
「3回目ですね」
「何回でも言いますよ」
声は変わらなかった。
変わらないまま、向こうでキーボードを打つ音だけが急に速くなった。
(……こっちが断ったことになってんだろ、この人の中で)
どうでもいい。
1万だ。
「ご都合のよい日は」
「明日はちょっと。カツ丼なんで」
「……カツ丼」
「こっちの話です。大盛りなんで」
「承知いたしました」
何を承知したんだ。
「では、あさっての午後2時でいかがでしょう」
「いけます。あ、昼飯って出ます?」
「出ません」
「ですよね」
ちゃぶ台の端に、コンビニのレシートがあった。
裏が白い。
ボールペンで書く。
あさって 2時 協会 1万
「持ち物は身分証と、同行者届の控えを」
「控え、もらってないっす」
「こちらで用意いたします」
「あざす」
「では、当日お待ちしております。失礼いたします」
切れた。
通話時間、3分12秒。
レンはスマホを置いて、焼きそばを見た。完全にのびていた。
(協会って、スーツ着たやつが3人くらいで、いきなり家まで来るもんだと思ってた)
来なかった。
来たのは電話で、話は1万円だった。
悪くない。
◇
3回目のコールで、ミオが出た。
「もしもし!? 見た!? いま電話しようと思ってたとこ!」
「声でけぇ。耳が死ぬ」
「だって既読ついたのに返事ないんだもん! あ、見て! 360万! 今の見てえ!」
「見えねぇよ、電話で」
スマホを耳から10センチ離した。
それでも聞こえる。
「協会から電話来た」
「……え?」
向こうが止まった。
ミオが静かなのは珍しい。
1秒。
2秒。
「……あ、協会ね。うん。……へえ」
声が半分くらい小さい。
(なんだ急に)
「協会って、あの協会!?」
戻った。
「他にどの協会があんだよ。聞き取りだと。1万もらえる。行く」
「早っ! 待って待って! 協会が動いたってことは、もう完全に公式案件じゃん!」
「そうなん?」
「そうなの! 個人の配信者が動画あげたのとは、わけが違うの! 国が見てるんだよ!?」
「国じゃなくて、ハサミの人だった」
「ハサミの人って誰!?」
「昨日あごひも切った人」
「あの人、協会の人だったの!?」
ミオの声がひっくり返った。
受付にいたんだから協会の人に決まってる。
言うのはやめた。
「でも、ただの面接だろ」
レンはちゃぶ台に肘をついた。
「金もらえるならただの面接だろ」
「面接じゃないよ!? 聞き取り調査! 事情聴取!」
「事情聴取は、何かやったやつが受けるやつだろ」
「やったじゃん! 門番を土下座させたじゃん!」
「させてねぇ。あいつが勝手にした」
「それが一番大問題なんだってば!」
登録者が11万8,000人になったらしい。
ミオは電話の途中で、それも言った。
聞き流した。
数字の大きさなら、1万円の方がよっぽど現実だ。
10万人がいくら集まっても、家賃は払えない。
「ていうか1万って、日当の2万より安くない?」
「日当は丸1日だろ。こっちは1時間で1万」
「……」
「時給にすると1万だ。日当は6時間として、3,300円ちょっと」
「時給換算やめて!」
「お前が言い出したんだろ」
「あたしの配信より稼げるとか、ムカつく!」
「10万人は、あとで金になるんだろ。あとで」
ミオが黙った。
今のは勝ったと思う。
3秒後に、ミオが言った。
「……ねえ。あたしも、行っていい?」
「は? なんで」
「同行者だし! 配信してたのあたしだし! 関係者じゃん!」
「呼ばれたのは俺だけだ」
「協会の人に顔覚えてもらえたら、取材とか、もらえるかもじゃん!」
「それ、お前の都合だろ」
「うん!」
認めた。
「それにあたしには電話、来てないんだけど!? 配信者あたしなのに!」
「知らねぇよ。協会に言え」
「言う! あたしが聞く! ダメって言われても行く!」
「それ聞く意味あるか?」
「ある! 気持ち!」
気持ちか。
レンはちゃぶ台のレシートに目を落とした。
あさって 2時 協会 1万
隣に1行足す。
ミオ
「……好きにしろ。横にいるだけなら」
「やった! ありがと!」
「あと、声でけぇ」
「明日のカツ丼のとき、作戦会議ね!」
「大盛りな」
「分かってるってば!」
切れる直前、ミオの声がまた小さくなった。
「……あたしにだけ電話来ないの、ちょっと気になるんだよね」
「考えて分かんねぇことは、考えねぇ」
「それ、あんたの口癖にしないで」
切れた。
部屋が静かになった。
レシートには4行。
2時。協会。1万。ミオ。
あさって、あの古いビルの1階に、また行く。
レンはのびた焼きそばに箸を戻した。
ひと口すすって、顔をしかめる。
まあ、1万だし。




