北山大塔
塔の話をしなければならない。
北山第の一角に、そのころ、途方もない建築が立っていた。七重の大塔である。
高さは、伝えによれば三百六十尺。今日の尺度になおせば百メートルを優に超える。日本史上、これより高い木造建築はついに建てられなかった。三十階建ての鉄骨の塔が空を突くようになるまで、この国の人間は、義満の建てたこの塔を超える高さを知らなかったのである。
もとは相国寺の境内に建った。応永六年の落慶である。ところが四年後、雷が落ちて燃えた。人々は、天が咎めたのだと囁いた。
義満は、建て直した。しかも今度は、おのれの住む北山第の内に建てた。
——あの男は、天と喧嘩をしておる。
と、都の者は言った。言いながら、誰も止めなかった。
余談ながら、この塔の造営費は、諸国の守護に割り当てられた。守護たちは領国から段銭を絞り上げ、絞り上げられた百姓は逃散した。塔が高くなるほど、地に伏す者が増える。京の空に突き立つ百メートルの木の塔は、この時代の富がどこへ吸い上げられていったかを示す、巨大な目盛りのようなものであった。
応永十五年の五月、病から起き上がった足利義満が最初に足を運んだのは、この塔である。
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世阿弥は、供の末に加えられた。
北山殿は、まだ足元が確かでない。輿を降り、若党の肩を借りて塔の下に立ち、しばらく無言で見上げていた。
やがて、こう言った。
「世阿。この塔は、なぜ焼けたと思う」
「……雷、と承っております」
「うむ。雷じゃ」
北山殿は笑った。
「天が焼いたと、皆が申した。分を弁えぬ者への戒めじゃとな。……だがな、世阿。焼けたのは塔であって、わしではない。わしは、また建てた。天は二度目を焼かなんだ。ならば、どうなる」
答えようがなかった。
「天は、わしを許したということじゃ」
この論法である、と世阿弥は思った。このお方は、起きたことの意味を、後からご自分でお決めになる。焼ければ試練、焼けねば嘉納。どちらに転んでも、天はこのお方の味方になるようにできている。
そして今度は、死にかけて、生き延びた。
その意味を、このお方が何とお決めになったか——世阿弥は、すでに知っている。践祚の式次第を問うたあの声を、几帳越しに聞いてしまったからである。
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その夜、北山第の広間に、老人がひとり召された。
斯波義将である。
足利一門の名門・斯波の当主で、管領を幾度もつとめた。歳は義満より八つ上の、五十九。若き日の義満が細川頼之を追ったとき、その後釜に据えられたのがこの男である。以来三十年、義満の下で幕政の実務を回しつづけてきた。
義満にとって、この老人は使い勝手のよい柱であった。同時に、幕府という建物が、まだ義満ひとりの持ち物ではないことを示す柱でもあった。
「義将」
「はっ」
「若宮を、践祚させたい」
老人の呼吸が、止まった。
若宮——義嗣。義満の子である。十五歳。四月に、親王の例をもって内裏で元服したばかりの少年。
「その上で、わしは太上天皇の尊号を受ける。治天の君として、幼き帝を後見する。……いかがじゃ」
余談を挟むことを、許されたい。
この筋書きは、筆者の創作ではない。後世の歴史学者が、義満の晩年の一連の行動——妻を帝の准母に立て、子を親王の例で元服させ、明から日本国王の称を受けた、あの積み木の並べ方——から読み解いた、ひとつの有力な見立てである。義満自身が玉座に座るのではない。子を帝に据え、おのれは上皇として、帝の上に立つ。
この国では、古来、実権は玉座になかった。院にあった。白河も、後白河も、後鳥羽も、位を降りてから王であった。治天の君という。
なぜ、退いた者のほうが強いのか。帝は儀式に縛られるからである。日々の作法、祭祀、先例——玉座に座った瞬間、人は動けなくなる。動けぬ者を、動ける者が後ろから使う。それがこの国の王権の仕組みであり、義満は、その急所を正確に見ていた。
むろん、そんな野望はなかったとする学説もある。義満のふるまいは公家社会の作法に沿った権威の演出にすぎず、この男が目指したのはあくまで公家社会の頂点であって、王朝そのものを乗っ取る意思などなかった、という見方である。学界の論争は今日も続いており、決着はついていない。
だが、この物語では、義満は死なない。死なぬ以上、この男が次に何をするかを、われわれは見ることになる。
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「……恐れながら」
老人は、長い沈黙のあとに口を開いた。
「例が、ございませぬ」
「例なら、わしが作ってきた」
義満の声には、怒気がなかった。それが、かえって怖い。
「太政大臣に昇ったときも例がないと申したな。出家して政を執ったときも申した。北の方を帝の准母に立てたときも、皆そう申した。……で、どうなった。世は回っておる。何ひとつ壊れておらぬ」
「壊れておらぬのは」老人は、頭を垂れたまま言った。「壊れるところまで、まだ進んでおらぬからにございます」
「ほう」
「畏れながら、公方さまは、器を大きゅうしてこられたのではございませぬ。器の縁を、削ってこられたのでござる。削れば水は多く入りましょう。されど縁のなくなった器は、傾いだ日に、すべてを失いまする」
——この老人は、言うな。
と、次の間に控えていた世阿弥は思った。芸の世界にも、稽古の場で師に諫言する古参がいる。たいていは、疎まれて消える。
だが義満は、笑った。
「よい。義将、そなたは何十年、それを申しつづけておる」
「幾度も申し上げました」
「そして、わしは幾度も聞かなんだ。……それでも申すか」
「申しまする」
「うむ」
義満は、それきり何も言わなかった。
老人が退がったあと、義満は誰にともなく呟いたという。
「あれは、わしが死ぬのを待っておる」
これは、正確な観測であった。史実の斯波義将は、義満の死の直後、朝廷が贈ろうとした太上天皇の尊号を辞退すべし、と新将軍に進言している。三十年仕えた男が、主君の死骸から冠を剥ぎ取ったのである。老人は忠実であった。ただし、忠実の相手が義満ではなかった。この国の秩序そのものに、この老人は仕えていた。
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数日後、世阿弥は、思いがけぬところへ召された。
三条坊門の将軍御所である。
北山殿の寵する猿楽師が、将軍家に召される。前例のないことではない。ないが、この時期に、というのが世阿弥には解せなかった。
通されたのは、庭に面した廊であった。将軍・足利義持は、そこで弓を引いていた。
二十三歳。この人は、父に似ていない。派手を好まず、猿楽より弓と禅を好み、酒宴の座では末座の者にまで気を配る。人柄はよい、と誰もが言った。誰もが言うということは、それ以外に言うことがない、ということでもある。
将軍職は、九つのときに譲られた。譲られただけであった。この十四年、政の実がこの御所に来たことは一度もない。すべては北山で決まり、北山から下りてきた。
義持は、世阿弥を見なかった。的だけを見ていた。
「北山では、猿楽がよう催されるそうな」
「……は」
「明の使いにも見せると聞いた。父上は、そなたの舞をたいそう好まれる」
矢が放たれた。的の中心を、外した。
側近が、そっと報せを差し出した。若宮践祚の議が北山で出た、という内容であるらしい。義持は目を落とし、一読して、返した。表情は動かなかった。
世阿弥は、それを見ていた。芸能の者の目である。人の顔がもっとも本性に近づくのは、心が動いた瞬間ではない。動いたものを、押し殺し終えた直後である。
このお方は、今、押し殺し終えた。
「世阿弥とやら」
「はっ」
「舞の道では、師の型を、そのまま継ぐものか。それとも」
義持は、次の矢をつがえた。
「継いだ上で、壊してもよいものか」
答えを、世阿弥は持たなかった。持たぬまま、平伏した。
二の矢が放たれた。今度は、中った。
義持は弓を下ろし、初めて世阿弥のほうを向いた。そして、笑った。人柄のよい笑い方であった。
「答えずともよい。……言えば、それは謀反になる」
余談ながら、後年——史実の世界での話である——父の死後に実権を握った義持は、父のやったことをほとんど全部ひっくり返している。明との国交を断ち、日本国王の称を捨て、北山第を解体して金閣と一部だけを残し、寺にした。今日われわれが金閣寺と呼ぶ鹿苑寺は、義満の栄華の記念碑ではない。息子が父の栄華を解体したあとの、残骸である。そして弟の義嗣は、乱への関与を疑われ、幽閉されて殺される。
つまりこの父子は、どちらかが死ななければ終わらぬ関係であった。
その父が、死ななかった。
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六月、兵庫に明の船が着いた。
永楽帝の使節である。国書と、山と積まれた銅銭と、絹をたずさえていた。日本国王への贈り物である。
史実の世界では、この使節は都に入ることさえできなかった。義満はすでに死んでおり、跡を継いだ義持は、彼らを兵庫に留め置いたまま冷ややかに追い返す。日本国王の称も、明との交わりも、父の死とともに海へ捨てられた。
だが、この世界では、船は迎えられた。
義満は、これを北山第で受けた。
引見の儀は、いっさいの隙なく設えられた。庭には諸国の守護が居並び、正面には百メートルの大塔がそびえ、その手前に金色の舎利殿が水に映った。使節を饗する舞台では、猿楽が演じられた。
世阿弥が舞った。
舞いながら、世阿弥は、この日の座の設え方を見ている。北山殿の座は、明の使節より高い。そして庭に並ぶ守護大名たちの座は、はるか下にある。この日、この庭で最も高いところにいる人間は、ひとりしかいなかった。
もし帝がこの場においでであったなら、その座はどこに設えられたであろうか——という問いを、世阿弥は舞のあいだじゅう、頭から追い出せなかった。
儀のあと、義満は使節の前で国書を受けた。そして、庭に居並ぶ守護と公卿にも届く声で、言った。
「大明の皇帝は、朕を王と呼ばれる。海の外では、朕はすでに王じゃ」
朕、と言った。
天子の自称である。庭は、水を打ったように静まった。公卿たちは顔を伏せ、守護たちは互いの顔色を窺い、明の使節だけが、何が起きたのかを解さぬまま微笑していた。
世阿弥は舞台の袖から、その静寂を聞いていた。誰も咎めぬ。咎めぬということが、すでに答えであった。
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その夜である。
世阿弥は、控えの間で装束をたたんでいた。傍らで、十一になる甥の元重が、居眠りをしていた。兄・四郎の子である。この子は、幼いながらに恐ろしく巧い。舞台に立てば、大人の座がしんとなる。
叔父の目から見て、この子の芸には、ひとつ、世阿弥にないものがあった。
——怖い、と思わせる。
いずれこの子は、大成する。だが、誰に愛でられて大成するのか。そこまでは、世阿弥にも見えない。
見えぬまま、世阿弥は装束をたたみ終えた。
廊に足音がした。北山殿の使いである。
「明日、北山殿は院の御所へ渡られる。供を申しつける」
世阿弥は、手を止めた。
院の御所。すなわち、上皇のおわす場所である。
そして、この時この国に、上皇はいなかった。後円融院が没して十五年、譲位した帝はまだひとりもなく、院の御所は、主なきまま空いていた。
「……どなたの、御所にございましょうか」
使いの者は、答えなかった。答えられなかったのであろう。
北山の空に、七重の塔が黒々と立っていた。天は、まだ雷を落とさない。




