第95話 試作第一号
数日後。
離宮の研究室。
机の上には、一台の魔導具が置かれていた。
中央には火の魔法石。
その周囲には風の魔法石。
設計図をもとに組み上げられた、世界初の魔導暖房器具――試作一号機である。
クロエは完成した魔導具を見つめ、満足そうに頷いた。
「まずは動かしてみよう」
エルンストは火と風、それぞれの魔法石へ魔力を流し込む。
紅い光と翠色の光が同時に灯り、魔導具全体が淡く輝いた。
次の瞬間。
ごうっ――!
研究室中へ猛烈な風が吹き荒れた。
「きゃっ!」
ミアの長い髪が大きくなびき、机の上の羊皮紙が次々と宙を舞う。
『わぁーっ!』
リリは楽しそうに風へ乗って飛び回った。
『飛ぶには最高だね!』
アルも豪快に笑う。
『こりゃ気持ちいいな!』
しかし、クロエは額へ手を当て、大きくため息をついた。
「風が強すぎる……」
「これでは暖房ではなく暴風じゃ」
エルンストは冷静に頷く。
「風量を三分の一まで落とそう」
術式を書き換え、再び起動する。
今度は穏やかな風が部屋を流れ始めた。
だが。
ミアは首を傾げる。
「暖かくありません」
火の魔法石の近くだけは暖かい。
しかし、少し離れるだけで空気は冷たいままだった。
クロエは設計図へ赤い印を書き込む。
「熱が届いておらぬ」
「空気の流れを見直さねばならん」
さらに改良を加える。
三回目の試験。
今度は部屋全体へ暖かな風が流れ始めた。
「今度こそ!」
ミアは期待に胸を膨らませる。
しかし、その期待も長くは続かなかった。
ぼっ。
火の魔法石が突然勢いよく燃え上がる。
「熱っ!」
研究室の一角だけが真夏のような熱気に包まれた。
アルは苦笑する。
『火の子たちが張り切りすぎたな』
クロエも肩を落とした。
「火力が安定せぬか」
エルンストは静かに原因を書き留める。
「魔粒子の供給量にばらつきがある」
「制御術式を追加する必要がある」
その日だけで十回以上の試験が繰り返された。
風が強すぎる。
熱が弱い。
火力が安定しない。
熱が偏る。
風向きが乱れる。
一つ改善すれば、また別の問題が現れる。
理想の暖房器具への道は、決して平坦ではなかった。
試験の合間。
クロエは黒板へ歩み寄り、静かに二つの文字を書いた。
――火。
――風。
「興味深いのう……」
ミアが顔を上げる。
「何か分かったんですか?」
クロエは黒板を見つめたまま語り始めた。
「火の魔粒子は集まりたがる」
「風の魔粒子は流れたがる」
「属性ごとに、魔粒子そのものの性質が根本から異なっておる」
エルンストも静かに頷く。
「だから同じ術式では成立しない」
「属性ごとに最適な術式が必要になる」
クロエは腕を組み、小さく息を吐いた。
「もしかすると……」
「これこそが、人によって魔法の得手不得手が生まれる理由なのかもしれぬ」
ミアは目を丸くした。
「魔法の適性……ですか?」
「ああ」
クロエはゆっくり頷く。
「火を得意とする者。」
「風を得意とする者。」
「水や土を得意とする者もおるじゃろう。」
「同じ魔力量でも、扱える属性に差がある。」
「これまでは才能の一言で片付けられてきた。」
「じゃが、その裏には、魔粒子との親和性という魔法学的な理由があるのかもしれん」
エルンストも静かに続ける。
「まだ仮説に過ぎない」
「だが、十分に検証する価値はある」
ミアは精霊眼を開き、火と風の魔粒子を見つめた。
同じ魔粒子。
しかし、その振る舞いはまるで別の生き物のようだった。
火は寄り添い、集まろうとする。
風は自由に流れ、決して留まろうとはしない。
その違いこそが、魔法という学問の奥深さなのだろう。
夕暮れ。
三人はようやく椅子へ腰を下ろした。
机の上には、修正を重ねた設計図が山のように積み重なっている。
ミアは苦笑しながら呟いた。
「発明って……本当に大変なんですね」
クロエは優しく微笑んだ。
「成功とは、失敗を積み重ねた先にあるものじゃ」
「今日の失敗も、新たな発見も、すべて明日の糧になる」
エルンストも静かに頷く。
「原因は見えてきた」
「完成は近い」
リリは元気いっぱいに笑った。
『あと少しだよ!』
アルも力強く拳を握る。
『ここまで来たんだ!』
『絶対に成功する!』
三人は顔を見合わせ、小さく笑い合う。
世界初の魔導暖房器具。
その完成までは、あと一歩。
研究室の灯りは、その夜も遅くまで消えることはなかった。




