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婚約破棄されて捨てられた令嬢ですが、隣国の冷徹皇帝陛下がなぜか私を離してくれません!?  作者: Atelier Lotus


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第88話 誰もが使える魔法

 世界初の人工的な火の魔法石が完成した翌日。


 離宮の研究室には、再び三人の姿があった。


 机の中央には、美しく紅く輝く火の魔法石が置かれている。


 クロエはそれを手に取り、静かに口を開いた。


「火の魔法石は完成した」


「じゃが、これだけでは、まだ本当の意味での魔法石ではない」


 ミアは首を傾げる。


「まだ何か必要なんですか?」


「ああ」


 クロエは頷いた。


「魔法石とは、魔法を封じ込めた石ではない」


「魔法を発動させる術式まで組み込んで、初めて魔法石となる」


 エルンストは静かに一枚の羊皮紙を広げた。


 そこには単純な発火魔法陣が描かれている。


「複雑な魔法は必要ない」


「まずは最も単純な火属性初級魔法から始める」


 クロエも続ける。


「術式を魔法石へ刻み込む」


「魔法を発動するための魔力は、魔法石に蓄えられた火の魔粒子が担う」


「使用者は魔力を持っておる必要はない」


 ミアは目を見開いた。


「つまり……」


「誰でも魔法が使えるようになるんですね」


「その通りじゃ」


 クロエは穏やかに微笑んだ。


 エルンストは魔法石を机へ置き、慎重に術式を書き込んでいく。


 淡い光が魔法石を包み込む。


 紅い輝きは静かに脈打ち、やがて落ち着きを取り戻した。


「これで完成だ」


 クロエは静かに頷く。


「では、試そう」


 その日の午後。


 研究室へ一人の若い侍女が呼ばれた。


 まだ十代半ばほどの少女だった。


 突然の呼び出しに、緊張した様子で立っている。


「わ、私でしょうか……」


「安心せい」


 クロエは優しく微笑んだ。


「難しいことは何もない」


「この魔法石を持ち、『火よ』と念じるだけじゃ」


 侍女は困ったように首を振る。


「ですが……」


「私は魔法が使えません」


 それは、この世界では当たり前のことだった。


 魔法とは、生まれ持った魔力を持つ者だけが扱える力。


 それが誰も疑わなかった常識である。


 クロエは静かに頷いた。


「だからこそ、お主に頼んだのじゃ」


 侍女は恐る恐る火の魔法石を両手で受け取る。


 掌へ伝わるのは、不思議な温もりだった。


 研究室中が静まり返る。


 誰もが固唾を呑んで見守る。


 侍女は小さく深呼吸をした。


 そして、そっと呟く。


「……火よ」


 その瞬間。


 ぽっ。


 魔法石の先へ、小さな炎が静かに灯った。


「えっ……」


 侍女は目を見開く。


 揺らめく炎は消えない。


 確かに、自分の目の前で燃えている。


「つ……つきました……!」


 震える声が研究室へ響いた。


 ミアは思わず両手で口元を押さえる。


「成功です!」


 リリとアルも嬉しそうに飛び回る。


『すごい!』


『本当に誰でも使えた!』


 エルンストも静かに炎を見つめる。


「魔力反応なし」


「術式も安定している」


「完全に成功だ」


 侍女は涙を浮かべながら炎を見つめていた。


「私……」


「魔法が使えた……」


 その一言には、これまで魔法とは無縁だった人生の驚きと喜びが込められていた。


 クロエは静かに目を閉じる。


 幼い頃から六十年近く魔法を学び続けてきた。


 魔法とは、生まれ持った才能ある者だけが扱える力。


 それもまた、有史以来、誰一人として疑うことのなかった魔法学の常識だった。


 しかし今。


 魔法が使えない一人の少女が、自らの意思だけで魔法を発動した。


 クロエは感慨深げに呟く。


「……魔法史が変わったのう」


 その一言には、新たな時代の幕開けを見届けた学者としての喜びが込められていた。


 ミアは窓の外を見つめる。


 冷たい冬の風が吹いている。


 お忍び視察で出会った、寒さに震える母子の姿が脳裏に浮かんだ。


「この火があれば……」


「寒さに震える人たちを助けられます」


 クロエは静かに頷く。


「ああ」


「魔法石は戦うためだけのものではない」


「人々がより豊かに、より幸せに暮らすための希望じゃ」


 火の魔法石。


 それは魔法使いだけの時代を終わらせる、小さな革命だった。


 そして、その小さな炎は、やがて帝国中の人々の暮らしを照らし、世界そのものを変えていく希望の灯火となるのであった。

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