第6話 折れた心
謁見の間を出た後のことを、ミアはほとんど覚えていなかった。
気付けば王城の廊下を歩いていた。
いや。
歩いていたというより、歩かされていたと言った方が正しい。
視界がぼやけている。
頭の中も真っ白だった。
「どうせ……私なんて……」
無意識に呟く。
返事はない。
当たり前だ。
誰もいないのだから。
いや。
正確には違う。
リリとアルはいる。
けれど二人も何も言えなかった。
何を言えばいいのか分からなかった。
ミア自身ですら、自分が何を感じているのか整理できていなかったからだ。
婚約破棄された。
それは悲しい。
確かに悲しい。
けれど。
今胸を締め付けている痛みは、それだけではなかった。
ヘンリー。
父。
母。
エミリー。
王家。
皆が最初から知っていた。
知っていて。
ミアだけに知らせなかった。
ミアだけが最後まで信じていた。
それが何より苦しかった。
王城の出口へ向かう途中。
後ろから声が聞こえた。
「ミア」
振り返る。
父だった。
母も一緒だった。
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ。
ミアの胸に希望が灯る。
もしかしたら。
もしかしたら。
違うと言ってくれるのではないか。
婚約破棄は間違いだったと。
やはり娘を手放せないと。
そう言ってくれるのではないか。
だが。
父が口にした言葉は違った。
「分かってくれ」
ミアの身体が固まる。
「これはランベルト家のためでもある」
希望が消える。
「お前には辛いだろう。だが王家がお決めになったことだ」
違う。
そんな言葉が聞きたかったんじゃない。
「お父様……」
声が震える。
「私、頑張ったんです」
父は目を逸らした。
「分かっている」
「分かっているなら……」
どうして。
どうして助けてくれないの。
その言葉は最後まで口にできなかった。
母が前へ出る。
「ミア」
優しい声だった。
幼い頃から聞いてきた声だった。
だが今は遠い。
「王太子妃になれば、きっと苦労したわ」
ミアの心が軋む。
「王妃教育も厳しいし、王宮では気の休まる時なんてないもの」
「……」
「貴方は優しい子だから。そんな場所で傷付くより、普通の幸せを見つけた方がいいのよ」
違う。
違う。
そんな言葉が欲しいんじゃない。
「お母様も……」
母は答えない。
ただ悲しそうに微笑むだけだった。
その表情が。
かえって残酷だった。
結局。
母も味方ではないのだ。
その時だった。
「お姉ちゃん」
エミリーが近付いてくる。
ミアは顔を上げた。
妹なら。
せめて妹だけは。
そう思った。
だが。
「ごめんなさい」
エミリーは涙を浮かべながら言った。
「でも私、ヘンリー様が好きなの」
ミアは何も言えなかった。
「本当にごめんなさい」
謝罪の言葉。
けれど。
エミリーはヘンリーを手放さない。
謝りながら奪うのだ。
ミアの大切なものを。
その瞬間。
何かがぷつりと切れた。
もう期待するのはやめよう。
もう信じるのはやめよう。
もう傷付かないようにしよう。
そう思った。
ミアは小さく笑った。
自分でも驚くほど乾いた笑みだった。
「そう」
それだけ言った。
父も。
母も。
エミリーも。
何も言えなかった。
そしてミアは背を向ける。
もう振り返らなかった。
王城の外へ出る。
空は青かった。
人々は笑っていた。
世界は何も変わらない。
変わってしまったのはミアだけだった。
『ミア……』
リリが震える声を出す。
『泣いていいんだぞ』
アルが珍しく優しく言う。
だが。
涙は出なかった。
もう涙すら枯れていた。
心が空っぽだった。
ただ一つだけ。
確かなことがある。
ミアにはもう居場所がない。
王家にも。
家族にも。
どこにも。
少女の心は、この日初めて完全に折れてしまったのである。




