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第7話 政略結婚

 婚約破棄から数日後。


 ランベルト伯爵家の屋敷は、不思議なほど平穏だった。


 まるで何事もなかったかのように。


 使用人たちはいつも通り働き、


 父は執務をこなし、


 母は茶会の予定を確認している。


 エミリーは新たな婚約者として王宮へ通い始めていた。


 変わったのはミアだけだった。


 居場所がない。


 ただ、それだけだった。


 そんなある日の夕方。


 ミアは再び父の執務室へ呼び出された。


 部屋の中には父と母がいる。


 二人とも妙に神妙な顔をしていた。


 嫌な予感しかしなかった。


「話がある」


 父が言う。


 ミアは静かに頷いた。


 もう驚くことなどないと思っていた。


 だが――


 父の次の言葉は、その予想を超えていた。


「お前の縁談が決まった」


 ミアは黙って父を見つめる。


「相手はヴァイスラント帝国皇帝、エルンスト陛下だ」


 北方の大国、ヴァイスラント帝国。


 その名はミアも知っている。


 長い歴史を持つ軍事国家。


 冬の厳しい極寒の国。


 そして――


 “冷徹皇帝”の異名で知られる若き皇帝が治める国。


「……そうですか」


 ミアは静かに答えた。


 自分でも驚くほど感情が動かなかった。


 父は続ける。


「正式には皇妃候補として送り出される」


「皇妃候補……」


「ああ」


 聞こえはいい。


 だがミアには分かっていた。


 これは政略結婚だ。


 それも、極めて都合のいい形の。


 婚約破棄された令嬢。


 顔に傷跡のある令嬢。


 王家に不要とされた令嬢。


 そんな娘を国外へ送り出す。


 誰も困らない。


 誰も反対しない。


 だから選ばれた。


 それだけだ。


「おめでとうございます」


 母が微笑んだ。


 その笑顔を見て、ミアは少しだけ胸が痛んだ。


 本当に喜んでいるのだろうか。


 それとも――


 安心しているのだろうか。


「ヴァイスラント帝国なら身分も申し分ないわ」


 母は続ける。


「冷徹皇帝とはいえ、皇帝陛下ですもの」


 ミアは何も答えない。


 父も頷いた。


「この縁談を断る理由はない」


 断る理由。


 それは違う。


 断る権利がないのだ。


 最初から。


 最初からずっと。


 ミアに選択権などなかった。


 その時だった。


 執務室の扉が開く。


 入ってきたのはエミリーだった。


「お姉様!」


 明るい声。


 以前なら嬉しかったはずの声。


 今は少しだけ遠く感じる。


「聞いたわ!」


 エミリーは嬉しそうだった。


「ヴァイスラント帝国ですって!」


 その様子を見て、ミアは何となく理解してしまった。


 誰も同情していないのだと。


 少なくとも家族は。


 そうだった。


「良かったじゃない!」


 エミリーは悪意なく言う。


「皇帝陛下のお妃様なんて素敵!」


 ミアは小さく笑った。


「そうね」


 それしか言えなかった。


 エミリーは気付かない。


 父も。


 母も。


 気付かない。


 それがどれほど残酷な言葉なのか。


 ミアがどれほど傷付いているのか。


 誰も理解していなかった。


 その夜。


 ミアは一人、自室にいた。


 窓の外には満天の星空が広がっている。


 北の空を見つめる。


 ヴァイスラント帝国。


 知らない国。


 知らない人々。


 そして――


 冷徹皇帝エルンスト。


 噂だけは聞いていた。


 冷酷。


 無慈悲。


 氷の皇帝。


 戦場では敵兵すら震え上がるという。


 そんな人物のもとへ嫁ぐ。


 普通なら恐怖するだろう。


 だが――


 不思議とミアの心は静かだった。


 もう失うものがなかったからだ。


『行くのか?』


 アルが窓辺で呟く。


「うん」


 ミアは頷いた。


『怖くないのかよ』


「怖いよ」


 素直に答える。


「でも……」


 そこで言葉を切る。


 少しだけ考えてから続けた。


「ここにいても同じだから」


 その言葉に、


 リリもアルも黙ってしまった。


 否定できなかったのだ。


 ミアの居場所は、もうここにはない。


 家族の中にも。


 王国の中にも。


 どこにも。


 だから――


 行くしかない。


 知らない国へ。


 知らない未来へ。


 婚約破棄された令嬢を乗せた運命の歯車は、静かに回り始めていた。

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