第83話 精霊眼の本質
試行錯誤の日々は続いていた。
離宮の研究室には、今日も複雑な魔法陣が描かれた羊皮紙が何枚も並べられている。
「第十七試験を開始する」
クロエの合図とともに実験が始まった。
エルンストが魔力を魔法陣へ送り込む。
淡い光が術式全体を駆け巡り、火のエレメントがゆっくりと魔水晶へ集まり始めた。
「順調です」
ミアは精霊眼を開き、静かにエレメントの流れを観察する。
火のエレメントは昨日よりも自然な流れを描いていた。
このままいけば成功する――。
誰もがそう思った、その時だった。
「止めてください!」
ミアが鋭く叫ぶ。
エルンストは一瞬の迷いもなく魔力の供給を止めた。
魔法陣の光が静かに消えていく。
クロエが驚いたように振り返る。
「どうした?」
ミアは魔法陣の一角を指差した。
「ここです」
「第三環状と第四環状の境目です」
二人は目を凝らす。
しかし、そこには何の異常も見当たらない。
「何も変わっておらぬが……」
クロエには見えない。
エルンストにも分からない。
だが、ミアだけは確信を持って首を横に振った。
「火のエレメントが、一瞬だけ逆流しました」
「ほんの僅かです。でも、このまま続ければ魔水晶は耐えられません」
クロエは腕を組み、真剣な表情になる。
「逆流……か」
「はい」
ミアは精霊眼で見えている光景を言葉へ変えていく。
「川の流れみたいなんです」
「一見すると前へ流れているように見えます。でも、その場所だけ小さな渦ができています」
「火のエレメントがそこへ引き込まれ、流れが乱れてしまっています」
クロエはすぐに羊皮紙を広げ、魔法陣へ修正を加え始めた。
「ならば、この循環式を少し広げよう」
「流れをもう少し緩やかにすれば……」
ミアは精霊眼で確認し、小さく頷く。
「はい」
「今度は自然な流れです」
再び実験が始まる。
火のエレメントは滑らかに流れ、魔水晶へ吸い込まれていく。
先ほどまで存在していた乱流は消え去っていた。
クロエは思わず目を見開く。
「本当に安定した……」
もちろん、クロエにはエレメントそのものは見えない。
だが結果が証明していた。
先ほどまで不安定だった術式は、明らかに安定している。
エルンストも静かに頷いた。
「ミアの言った通りだった」
実験を終えた後。
クロエは椅子へ腰掛け、深く息を吐いた。
「これは……驚いたのう」
「え?」
ミアは首を傾げる。
クロエは真っ直ぐミアを見つめた。
「わしら魔術師は、結果から原因を推測する」
「魔水晶が割れれば、どこかに問題があったのだと考える」
「じゃが、お主は違う」
研究室が静まり返る。
「問題が起こる前に、その原因そのものを見つけてしまう」
ミアは少し照れくさそうに笑った。
「見えているだけですから……」
「それが凄いのじゃ」
クロエは力強く言う。
「精霊眼は、ただ妖精を見るための眼ではない」
「エレメントそのものを観測する眼じゃ」
黒板へ、大きく一行を書き記す。
――精霊眼は、最高の観測装置である。
「どれほど優れた魔術理論も、正確な観測なくして完成はせぬ」
「わしらは術式を組み、実験し、失敗して初めて誤りを知る」
「しかし、お主は術式が完成する前に、その誤りを見抜くことができる」
エルンストも静かに言葉を続けた。
「我々が見ているのは結果だ」
「だが、ミアは過程そのものを見ている」
「だから修正も最小限で済む」
ミアは少し恥ずかしそうに俯いた。
「そんなに凄い力だったなんて、考えたこともありませんでした」
リリが肩へ飛び乗る。
『ミアは昔から見えてたもんね!』
アルも笑う。
『俺たちは当たり前だと思ってた!』
二人の言葉に、ミアも思わず笑みを浮かべた。
クロエは静かに窓の外へ目を向ける。
「妖精の存在。」
「妖精誘導理論。」
「そして精霊眼。」
「どれか一つ欠けても、この研究はここまで辿り着けなかった」
そう呟くと、再びミアへ視線を戻す。
「ミアよ」
「はい」
「この研究最大の鍵は、お主の精霊眼じゃ」
「お主の眼は、人には見えぬ真実を映し出す」
「この眼がある限り、わしは火の魔法石を必ず完成させられると信じておる」
その言葉に、ミアは力強く頷いた。
「はい!」
人には見えない世界を見る少女。
その瞳は、妖精を映すだけではない。
世界を満たすエレメントの流れを読み解き、未来への道筋を照らし出す希望の光でもあった。
火の魔法石研究は、いよいよ核心へと迫り始めていたのである。




