第82話 思考錯誤
最初の実験から数日。
離宮の研究室には、今日も朝から魔法陣を描く音が響いていた。
「もう少し循環を弱くしてみましょう」
羊皮紙を覗き込みながら、ミアが静かに言う。
クロエは頷き、迷いなく一本の術式を書き換えた。
「これでどうじゃ?」
「はい。火のエレメントの流れが、さっきより自然になります」
エルンストは新しい魔水晶を魔法陣の中央へ静かに置いた。
「始めよう」
三人はそれぞれの持ち場につく。
クロエが術式を起動し、エルンストが魔力を送り込む。
ミアは精霊眼を開き、魔法陣の中を流れるエレメントを注意深く観察していた。
「火のエレメントが集まっています!」
赤い光が魔法陣へ吸い寄せられていく。
ゆっくりと。
そして確実に。
火のエレメントは魔水晶へ集まり始めた。
「いいぞ……」
クロエの声にも期待が滲む。
しかし、その期待は長く続かなかった。
「だめです!」
ミアが鋭く叫ぶ。
「流れが偏っています!」
次の瞬間――。
パンッ!
乾いた破裂音が研究室に響いた。
魔水晶へ細かな亀裂が走り、
パリンッ!
透明な破片となって砕け散る。
「……また失敗じゃ」
クロエは小さく息を吐いた。
エルンストは黙って破片を拾い集める。
「原因は?」
ミアは目を閉じ、先ほど見たエレメントの流れを思い返した。
「循環はできていました」
「でも、一か所だけ流れが速すぎます」
「そこへ火のエレメントが集中して、魔水晶が耐え切れませんでした」
クロエはすぐさま黒板へ書き込む。
――第三環状、流速過多。
「修正じゃ」
「はい!」
その日だけで五回。
三人は何度も魔法陣を書き直し、実験を繰り返した。
六回目。
火のエレメントは途中で四散した。
七回目。
魔法陣そのものが崩壊した。
八回目。
魔水晶は真っ黒に変色し、二度と使い物にならなくなった。
そして九回目。
「逃げます!」
「抑えろ!」
ボンッ!!
小さな爆発が起こり、研究室中へ黒い煙が立ち込めた。
「ごほっ、ごほっ!」
ミアは咳き込みながら煙を払う。
クロエの銀色の髪は煤で黒く染まり、頬まで真っ黒になっていた。
エルンストも珍しく前髪が乱れ、頬には一本だけ真っ直ぐ煤が付いている。
『あははは!』
『クロエ、顔が真っ黒!』
『誰だか分かんないよ!』
妖精たちは大笑いしている。
もちろん、その声はミアにしか聞こえない。
その様子を見たミアは、思わず吹き出した。
「ふふっ……」
笑いを堪えるミアを見て、クロエが不思議そうに首を傾げる。
「どうしたんじゃ?」
「い、いえ……その……」
ミアは笑いを堪えながら、机の上の鏡を手に取り、クロエへ差し出した。
「クロエ様、一度ご覧になってください」
「ん?」
クロエは鏡を覗き込み――。
「……これは酷いのう」
思わず自分でも吹き出した。
続いてエルンストも鏡を手に取り、自分の顔を確認する。
頬に一本だけ付いた煤を見つめ、小さくため息をついた。
「……笑うな」
「す、すみません」
そう謝りながらも、ミアの笑いはなかなか止まらない。
研究室には、いつしか穏やかな笑い声が満ちていた。
失敗ばかりだった。
魔水晶は次々と砕ける。
羊皮紙は山のように積み重なる。
魔法陣は何十回も描き直した。
それでも、誰一人として諦めようとはしなかった。
夜。
窓の外では雪が静かに降り続いている。
クロエは黒板いっぱいに並ぶ記録を見つめ、静かに呟いた。
「……失敗ではない」
「え?」
ミアが振り向く。
「一つ失敗するたびに、成功しない方法が一つ分かる」
「それも立派な成果じゃ」
エルンストも静かに頷いた。
「確実に完成へ近づいている」
ミアは机いっぱいに広がる羊皮紙へ目を向ける。
一枚一枚が失敗の記録。
だが同時に、それは完成へ近づくために積み重ねた知識でもあった。
「はい」
ミアは力強く頷く。
「次は、もっと良くできます」
クロエは優しく微笑んだ。
「その意気じゃ」
失敗は終わりではない。
成功へ至るための、大切な過程に過ぎない。
三人は再び机へ向かい、新しい羊皮紙を広げる。
ペンを取り、魔法陣を書き始めた。
火の魔法石完成への道は、まだ遠い。
それでも三人は笑い合いながら、一歩ずつ、確実に未来へ向かって歩み続けていた。
その積み重ねが、やがて世界を変える大発明へと繋がっていくことを、この時の三人はまだ知らなかったのである。




