第81話 最初の失敗
妖精誘導理論が完成した翌日。
離宮の研究室には、朝早くから三人の姿があった。
机の中央には、透明な魔水晶が一つ。
その周囲には、昨夜完成したばかりの新しい魔法陣が丁寧に描かれている。
クロエは羊皮紙を見つめながら深く息を吸った。
「いよいよじゃな」
ミアも緊張した面持ちで頷く。
「人間だけで火の魔法石を作る、最初の実験ですね」
「ああ」
エルンストも静かに答えた。
「成功すれば、歴史が変わる」
研究室に静かな緊張が漂う。
リリもアルも、いつになく真剣な表情だった。
『頑張れ……』
『うまくいくといいな』
今回は二人は手を貸さない。
妖精誘導法ではなく、人間だけの理論を試す実験だからだ。
クロエは魔法陣の前へ立った。
「では始める」
ゆっくりと魔力を流し込む。
魔法陣が淡く赤く輝き始めた。
その瞬間。
ミアは精霊眼を開く。
「動きました!」
空気中の火のエレメントが、魔法陣へ引き寄せられていく。
一本。
二本。
三本。
まるで小川が川へ流れ込むように、赤い光が魔水晶へ集まり始めた。
「成功です!」
思わずミアが声を上げる。
クロエも静かに頷いた。
「理論通りじゃ」
エルンストも魔水晶を見つめる。
内部には火のエレメントだけが少しずつ蓄積され始めていた。
昨日、妖精が行った現象が、人間の魔法陣だけで再現されている。
確かな手応えだった。
しかし――。
「……!」
ミアの表情が変わる。
「どうした?」
エルンストが尋ねる。
「火のエレメントが……」
「流れが乱れています!」
次の瞬間だった。
魔水晶へ集まっていた火のエレメントが、一斉に外へ広がり始めた。
「散ります!」
「まずい!」
クロエが魔力を強める。
しかし遅かった。
ふわり、と赤い光は空中へ溶けるように消えていく。
数秒後。
魔水晶は再び、透明な結晶へ戻っていた。
研究室に静寂が訪れる。
誰も言葉を発しなかった。
やがてクロエが魔法陣を見つめながら、小さく息を吐く。
「……失敗じゃ」
ミアは悔しそうに魔水晶を見つめた。
「どうして……」
「ちゃんと集まっていたのに」
クロエは腕を組み、静かに考え込む。
「理論は間違っておらぬ」
「火のエレメントは確かに集まった」
「じゃが、留まれなかった」
エルンストも頷く。
「術式が完成していない」
「誘導までは成功した」
「しかし定着させる工程が不足している」
ミアは精霊眼で先ほどの光景を思い返す。
火のエレメントは集まった。
だが、魔水晶へ触れた瞬間、まるで居心地が悪いと言わんばかりに外へ逃げていった。
「……そうか」
ミアは静かに呟いた。
「集めるだけでは足りないんですね」
「はい」
「火のエレメントが『ここに居たい』と思える場所じゃないと……」
クロエはゆっくりと頷いた。
「その通りじゃ」
「妖精誘導理論は正しかった」
「じゃが、それだけでは足りなんだ」
アルが頭を掻きながら言う。
『火の子たち、途中までは喜んでたんだけどな』
リリも困ったように頷く。
『最後に『なんか違う』って帰っちゃった』
ミアは二人の言葉をクロエへ伝える。
クロエは静かに目を閉じた。
「やはり、まだ何かが足りぬ」
「妖精が無意識に作り出している環境を、わしたちはまだ再現できておらんのじゃ」
失敗だった。
しかし、それは何も得られなかった失敗ではない。
火のエレメントは確かに集まった。
理論は間違っていなかった。
足りないのは、あと一歩。
エレメントが安心して留まり続けられる最後の仕組みだけだった。
クロエは新しい羊皮紙を広げる。
「原因は必ずある」
「見つけ出そう」
エルンストも静かに頷く。
「ああ」
ミアは力強く拳を握った。
「次は、きっと成功させます」
その瞳に宿る光は、失敗によって消えるどころか、むしろ一層強く輝いていた。
火の魔法石完成への道は、まだ始まったばかりなのである。




