第78話 失われた妖精誘導法
翌日。
離宮の研究室には、朝から張り詰めた空気が漂っていた。
昨日明らかになった妖精たちの習性。
それが本当に火の魔法石の研究へ応用できるのか――その可能性を確かめるため、三人は一つの実験を行おうとしていた。
机の中央には、透明な魔水晶が一つ。
まだ何のエレメントも宿していない、空の結晶である。
クロエは魔水晶を見つめながら静かに口を開いた。
「もし、この仮説が正しければ……」
「伝説とされてきた古代製法が実在した証明になる」
その言葉に、研究室の空気が一段と張り詰める。
ミアは小さく息を呑み、肩へ乗るアルへ優しく微笑みかけた。
「アル」
『うん?』
「この魔水晶へ、火のエレメントだけを集めてもらえる?」
アルはきょとんと目を丸くした。
『それだけ?』
「うん」
『簡単だよ!』
元気よく返事をすると、アルはふわりと宙へ舞い上がる。
そして両手を大きく広げた。
『火の子たちー! 集まってー!』
その瞬間だった。
ミアの精霊眼に映る世界が一変する。
研究室中に漂っていた無数の火のエレメントが、一斉にアルへ引き寄せられ始めた。
赤い光が幾筋もの流れとなり、渦を描く。
水のエレメントは動かない。
風も。
土も。
集まってくるのは、火のエレメントだけだった。
「すごい……」
ミアは思わず息を呑む。
アルの周囲は真紅の光で満たされ、まるで小さな太陽のように輝いていた。
『はいっ!』
アルが魔水晶へ手をかざす。
赤い奔流が吸い込まれるように結晶へ流れ込み、その輝きは次第に内部へと定着していく。
やがて光が静かに収まる。
机の上には、淡い紅色に輝く一つの魔石が残されていた。
ミアは精霊眼で内部を覗き込み、思わず声を上げる。
「火のエレメントしかありません……!」
水も。
風も。
土も。
そこには一切存在しない。
内部には純粋な火のエレメントだけが、美しく満ちていた。
クロエは震える手で、その魔石を持ち上げる。
「まさか……」
かすれた声が漏れる。
「単一属性の魔石……」
長年魔法を研究し続けてきた彼女でさえ、初めて目にする存在だった。
エルンストも静かに見つめる。
「成功したのか」
「いや……まだじゃ」
クロエは静かに首を横へ振る。
「最後の確認を行う」
羊皮紙へ簡易的な火属性の魔法陣を書き上げると、その中央へ魔石を組み込んだ。
深く息を吸い込む。
「起動」
静かな声とともに魔法陣が淡く赤く輝いた。
研究室に緊張が走る。
次の瞬間――。
ぽっ。
小さな炎が静かに灯った。
揺らぐことなく。
暴走することもなく。
一定の熱を保ちながら、穏やかに燃え続けている。
誰も言葉を失った。
クロエは炎を見つめたまま、小さく震える声を漏らす。
「……成功じゃ」
「魔法陣が……安定して作動しておる」
エルンストも静かに息を吐いた。
「普通の魔石ではあり得ない」
魔法使いの魔力による制御なしに、魔法陣だけで術式が成立している。
それは、魔法史を書き換えるほどの大発見だった。
クロエは急いで古い文献を取り出し、あるページを開く。
そこには、色褪せた古代文字が記されていた。
「最古にして、最も純度が高いと伝えられる古代製法――妖精誘導法。」
静かに読み上げる。
「妖精が自らと同じ属性のエレメントのみを引き寄せ、魔水晶へ定着させることで、高純度の魔法石を生成する製法……」
ゆっくりと本を閉じる。
「長らく、おとぎ話じゃと思っておった」
「存在した証拠もなく、伝説として語られるだけの技術……」
クロエは紅く輝く魔石を見つめる。
「じゃが……」
「本当に存在したのじゃな」
三十年もの間、答えを求め続けてきた学者の声だった。
しかし、その喜びも長くは続かなかった。
エルンストが静かに問い掛ける。
「問題は量産できるかだ」
研究室に再び静寂が訪れる。
ミアはアルを見つめた。
「これって、誰でも作れるの?」
『無理だよ』
アルはあっさり答える。
『俺たちが火の子を呼んでるんだもん』
『人間だけじゃ無理だよ』
リリも困ったように笑った。
『私たちが毎回手伝えば作れるけど……』
クロエは静かに目を閉じる。
「つまり……」
「妖精の力を借りれば生成できる」
「じゃが、それでは再現性がない」
妖精が見えるのはミアだけ。
妖精へ頼る限り、誰もが同じように作れる技術にはならない。
これでは帝国中へ普及させることはできなかった。
ミアも静かに頷く。
「これでは……みんなを救えません」
研究は成功した。
だが、それは同時に、新たな壁を突き付ける結果でもあった。
古代製法――妖精誘導法。
それは確かに存在した。
しかし、人間だけでは再現できない、失われた技術だったのである。
だからこそ三人は、新たな決意を固める。
妖精の力に頼らず、人の知恵だけで、この奇跡を再現する方法を見つけ出すために。




