第79話 妖精と言う存在
翌朝。
離宮の研究室には、いつものように三人の姿があった。
机の上には古い文献や研究書が山のように積まれ、黒板には昨日書かれた「妖精誘導法」の文字が残されている。
クロエは腕を組み、その文字を静かに見つめていた。
しばらくの沈黙の後、小さく息を吐く。
「……認めねばならんな」
ミアは首を傾げた。
「何をですか?」
クロエはゆっくりと振り返る。
「妖精じゃ」
「長年、魔法学を研究してきたが、わしは妖精を伝承や神話の類として考えておった」
「古い文献には数多く記されておる。じゃが、その姿を実際に見た者はほとんどおらぬ」
「ゆえに、学問として扱うには根拠が足りんと判断しておった」
静かな声だった。
しかし、その表情には迷いはなかった。
「じゃが、お主と出会い、考えが変わった」
ミアは目を瞬かせる。
「私ですか?」
「うむ」
クロエは穏やかに頷いた。
「最初は半信半疑じゃった」
「しかし、影武者作戦を経て確信した」
エルンストも静かに頷く。
あの一泊二日。
自分とミアが皇宮を離れていたにもかかわらず、誰一人として不在に気付かなかった。
変化魔法だけでは説明のつかない、あまりにも完璧な出来事だった。
「妖精は実在する」
「それは、もはや疑う余地がない」
クロエは黒板へ新たな文字を書き加えた。
――妖精学。
「これからは伝承ではない」
「一つの学問として妖精を研究する」
ミアは思わず笑みを浮かべた。
「妖精学……」
「面白そうです」
リリとアルは顔を見合わせる。
『妖精の勉強?』
『俺たち研究されるのか?』
その言葉に、ミアは思わず吹き出した。
クロエは不思議そうな顔をしたが、気に留めることなく説明を続ける。
「文献を整理すると、四大妖精には共通した特徴がある」
黒板へ四つの名前を書き並べる。
サラマンダー。
ウンディーネ。
シルフ。
ノーム。
「火の妖精サラマンダーは火山や溶岩地帯を好む」
「水の妖精ウンディーネは湖や大河」
「風の妖精シルフは風の強い高地や渓谷」
「土の妖精ノームは鉱山や肥沃な大地」
クロエは振り返った。
「これは単なる住みかではない」
「同属性のエレメントが豊富な場所へ、本能的に引き寄せられておるのじゃ」
ミアは静かに頷く。
「リリたちも同じことを言っていました」
「火のエレメントが好きだから集まる、と」
「やはりか」
クロエは満足そうに頷いた。
「ならば古代人は、この習性を利用していた可能性が高い」
エルンストが静かに口を開く。
「しかし、妖精が協力しなければ再現できないのではないか」
クロエは首を横へ振る。
「いや」
「目指すべきは、人間だけで再現する方法じゃ」
研究室が静まり返る。
「妖精がおるから成功する技術では意味がない」
「誰でも作れる」
「誰でも扱える」
「それでこそ技術は帝国中へ広まり、多くの民を救うことができる」
その言葉に、ミアの瞳が輝いた。
「再現性……ですね」
「その通りじゃ」
クロエは力強く頷く。
「妖精の習性を理解する」
「そして、その行動原理を魔法陣として再現する」
「それこそが、人間だけで妖精誘導法を完成させる唯一の道じゃ」
エルンストも静かに頷いた。
「研究の方向性が見えたな」
「はい」
ミアは力強く答える。
『頑張ろう!』
『俺たちも手伝うぞ!』
妖精たちの元気な声が響く。
もちろん、その声はミアにしか聞こえない。
ミアは小さく微笑み、そっと頷いた。
「ありがとうございます」
その言葉の意味は、クロエにもエルンストにも分からなかった。
それでも、ミアの瞳に宿る決意だけは、二人にもはっきりと伝わっていた。
こうして、新たな研究が始まる。
目指すのは、妖精の力を借りる技術ではない。
妖精の知恵を学び、人間の技術として昇華すること。
その挑戦は、やがて世界初の魔法石を生み出し、魔法学そのものを書き換える歴史的な大発見へと繋がっていくのであった。




