第72話 新たなる希望
お忍び視察を終えた翌日。
エルンストとミアは皇宮へ帰還した。
一泊二日の短い旅だったが、その間も皇宮に大きな混乱はなく、リリとアルによる影武者作戦は見事に成功していた。
もっとも、当の本人たちはというと――。
『疲れたぁ……』
『もう変化魔法はしばらく使いたくねぇ……』
離宮へ戻ってきたリリとアルは、机の上へぐったりと寝転がっていた。
一泊二日とはいえ、変化魔法を維持し続けた反動は大きかったらしい。
二人の羽は力なく垂れ下がり、今にも眠ってしまいそうだった。
そんな姿に、ミアは思わず頬を緩める。
「二人とも、本当にありがとう」
『いっぱい頑張ったもん』
『褒められて当然だな』
少しだけ元気を取り戻した二人を見て、張り詰めていた空気も自然と和らいでいく。
離宮の応接室では、エルンスト、ミア、クロエの三人が向かい合っていた。
「……以上が、今回の視察で見てきたことです」
ミアは静かに報告を終える。
市場の賑わい。
裏路地の現実。
暖房費を払えず寒さに耐える人々。
そして、冷え切った家で身を寄せ合いながら暮らす母子の姿。
クロエは腕を組み、静かに目を閉じた。
「やはり……そうでしたか」
長年帝国を支えてきた宮廷魔法使いである彼も、その現実は理解していた。
だからこそ、この問題が簡単には解決できないことも知っている。
部屋に重い沈黙が流れる。
その静寂を破ったのは、ミアだった。
「私、一つ考えたことがあるんです」
エルンストとクロエが同時に視線を向ける。
「火のエレメントです」
クロエの眉がぴくりと動いた。
「火のエレメント……?」
ミアは頷く。
「昨日、宿でランプの炎を見ていて気付いたんです」
「火のエレメントだけを宿した魔石が作れたら、暖房に利用できるのではないかと」
クロエは黙って続きを促した。
「普通の魔石だけでは魔道具は動きません」
「四つのエレメントが混在しているため、魔法式が不安定になってしまうからです」
「ですが……」
ミアは真っ直ぐクロエを見つめる。
「最初から火のエレメントだけを宿した魔石なら、火属性の魔法陣を安定して作動させられるのではないでしょうか」
部屋が静まり返る。
クロエは目を閉じたまま思考を巡らせた。
魔法理論。
魔石。
魔法陣。
それぞれの知識が頭の中で組み合わされ、一つの可能性へと収束していく。
「……なるほど」
やがて、静かな声が漏れた。
「普通の魔石には、火、水、風、土――四つのエレメントが混在しておる」
「魔法使いは自らの魔力で必要なエレメントだけを選別し、魔法を成立させる」
「しかし魔道具には、その選別能力がない」
「ゆえにエレメント同士が干渉し合い、魔法式が乱れてしまう」
「だから魔石だけでは、魔道具は正常に作動せんのじゃ」
ミアは静かに頷いた。
「ですが、火のエレメントしか存在しなければ……」
「魔法陣は迷うことなく、火のエレメントだけを取り込みます」
その一言で、すべてが繋がった。
クロエは勢いよく立ち上がる。
「面白い!」
普段の冷静さを忘れたように声を張り上げた。
「実に面白い発想じゃ!」
興奮を抑えきれず、部屋を歩き回る。
「理論上、不可能ではない!」
「火のエレメントだけを魔石へ定着させる方法さえ確立できれば……」
「火属性の魔法陣は極めて安定して作動する!」
そしてミアへ振り返る。
「つまり――」
「魔法使いでなくとも扱える、新しい暖房魔道具が誕生するかもしれんのじゃ!」
その時だった。
『あれ?』
机の上で寝転がっていたリリが顔を上げる。
『火のエレメントだけ集めるの?』
『それなら、いつもやってるぞ』
アルが何気なく言った。
ミアは目を丸くする。
「え?」
『火の妖精は火のエレメントが大好きなんだ』
『だから自然と火のエレメントが多い場所へ集まる』
『サラマンダーが火山にいるのも、そのためだよ』
リリも当然のように続ける。
『水の妖精は湖や川が好きだし』
『風の妖精は風の強い場所が好き』
『みんな、自分の好きなエレメントに引き寄せられるんだ』
ミアは、はっと息を呑んだ。
(妖精には……エレメントを選ぶ習性がある……)
胸の奥で、小さな何かが音を立てて繋がる。
まだ理論にはなっていない。
けれど、その何気ない言葉は、確かに未来へ続く扉を開く鍵だった。
クロエとエルンストには妖精たちの姿も声も見えない。
ただ、何かを閃いたように目を輝かせるミアを、不思議そうに見つめていた。
薪に頼らない。
石炭にも頼らない。
魔法が使えない人でも暖を取れる。
そんな未来が、本当に実現するかもしれない。
エルンストが静かに口を開く。
「研究する価値は十分にある」
「はい」
ミアは力強く頷いた。
「まだ方法は分かりません」
「でも、必ず見つけてみせます」
その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。
エルンストはそんなミアを見つめ、小さく微笑む。
「共にやろう」
短い一言。
だが、その言葉だけで十分だった。
ミアも嬉しそうに微笑み返す。
こうして――
火のエレメントだけを宿した新たな魔石。
後に「魔法石」と呼ばれることになる革命的な技術の研究が始まった。
それは、一人の少女の小さな着想から始まる希望だった。
その希望はやがて帝国中へ広がり、多くの人々を冬の寒さから救う歴史的大発明へと繋がっていく。
そして、この時リリとアルが何気なく口にした「妖精の習性」が、後に魔法石完成への大きな突破口となることを、まだ誰も知らなかったのである。




