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婚約破棄されて捨てられた令嬢ですが、隣国の冷徹皇帝陛下がなぜか私を離してくれません!?  作者: Atelier Lotus


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第69話 寒い家

 市場を歩いていたエルンストとミアは、一人の老商人から、ある家族の話を聞いた。


「この先の裏路地に、母親と幼い息子だけで暮らしとる家がある」


「毎年、冬になるたび苦労しとるよ」


 その言葉が気になり、二人は教えられた家を訪ねることにした。


 帝都の裏路地。


 そこに建っていたのは、石造りの古びた小さな家だった。


 エルンストが静かに扉を叩く。


 しばらくして、中から若い女性が顔を覗かせた。


「どちら様でしょうか?」


「旅の者です」


 エルンストは穏やかに答える。


「少し、お話を伺ってもよろしいでしょうか」


 女性は少し戸惑った様子を見せたが、二人の落ち着いた雰囲気に安心したのか、小さく頷いた。


「こんな家でよろしければ……どうぞ」


 二人は家の中へ足を踏み入れる。


 その瞬間、ミアは思わず息を呑んだ。


 寒い。


 外とほとんど変わらないほど、室内は冷え切っていた。


 暖炉はある。


 だが、火は灯っていない。


 薪がないのだ。


 部屋には古びた木の机と椅子が二脚。


 小さな寝台が一つ。


 家具らしい家具は、それだけだった。


 食卓には、固い黒パンが二切れと、具の少ない野菜のスープ。


 決して十分とは言えない食事だった。


 寝台では、小さな男の子が毛布に包まり、静かに眠っている。


 母親はその姿を優しい眼差しで見守っていた。


 だが、自分の肩には毛布一枚掛かっていない。


「お母さんは寒くないのですか?」


 ミアが尋ねると、女性は少し困ったように微笑んだ。


「私は大丈夫です」


「この子の方が身体も小さいですから」


 そう言って、眠る息子の毛布をそっと掛け直す。


 その仕草には、母親としての深い愛情が滲んでいた。


 ミアは胸が締め付けられる。


「薪は……買われないのですか?」


 女性は静かに首を横へ振った。


「高くて買えません」


「石炭も同じです」


「魔石や魔道具なんて、私たちには夢のまた夢ですよ」


 エルンストは何も言わず、その言葉に耳を傾けていた。


 女性は少し俯き、小さく笑う。


「春や夏は、何とかなるんです」


「でも……」


 一度言葉を切る。


 そして、ぽつりと呟いた。


「冬が来るのが怖いんです」


 その一言に、部屋は静まり返った。


 寒さは我慢できる。


 空腹も我慢できる。


 けれど、幼い我が子だけは守りたい。


 その切実な願いが、短い言葉の中へすべて込められていた。


 ミアは唇を強く噛み締める。


 何も言えなかった。


 目の前にある現実が、あまりにも重かったからだ。


 家を後にした二人は、しばらく言葉もなく歩き続けた。


 帝都の街は相変わらず賑わっている。


 商人たちの声。


 子どもたちの笑い声。


 人々の活気。


 だが、ミアの頭からは先ほど見た小さな家の光景が離れなかった。


「陛下……」


 小さく呼び掛ける。


 エルンストは静かに足を止めた。


「私は……」


 ミアは胸の前で手を握り締める。


「誰もが暖かく冬を越せる方法があればいいのに、と考えてしまいました」


 エルンストは少し驚いたようにミアを見つめる。


 やがて、その表情は穏やかな笑みに変わった。


「私も同じことを考えていた」


 二人の視線が静かに重なる。


 まだ方法は分からない。


 形も見えていない。


 それでも、その胸には確かな願いが芽生えていた。


 ――誰もが暖かく冬を越せる国をつくりたい。


 それは一人の母親が漏らした、小さな一言から始まった願いだった。


 そしてその願いは、やがて帝国中の人々の暮らしを変える、大きな発明へと繋がっていくことになるのである。

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