第68話 市場の声
裏路地を後にしたエルンストとミアは、再び市場のある大通りへ戻ってきた。
先ほどまでの重苦しい空気とは打って変わり、市場は多くの人々で賑わっている。
商人たちの威勢の良い声が飛び交い、荷車を引く人々が忙しそうに行き交っていた。
「いらっしゃい!」
「冬支度なら今のうちだよ!」
「薪ならあと少しだけ残ってる!」
ミアは露店を見渡した。
並んでいるのは、冬を越すために欠かせない品々ばかりだ。
薪。
石炭。
防寒着。
保存食。
どれも人々の暮らしを支える生活必需品である。
その中でも、薪を扱う店の前には長い行列ができていた。
「随分と人が多いですね」
ミアが呟くと、店主らしき中年の男が苦笑した。
「そりゃそうさ」
「今年も薪の値段が上がっちまってな」
「買いたくても買えない人が大勢いるんだ」
ミアは目を丸くする。
「そんなに高いのですか?」
「ああ」
店主は積み上げられた薪を見つめながら答えた。
「山奥まで伐りに行かなきゃならねぇし、人手も足りねぇ」
「運ぶだけでも金がかかる」
「毎年少しずつ値上がりしてるよ」
二人は礼を言って店を後にした。
次に目に入ったのは石炭を扱う店だった。
「石炭はいかがですか?」
ミアが尋ねると、店主は肩をすくめる。
「薪より火持ちはいい」
「だが、その分値段も高い」
「庶民には簡単に買える代物じゃないな」
さらに歩くと、今度は魔石専門店があった。
棚には大小さまざまな魔石が並び、淡く光を放っている。
「魔石も暖房に使われるのですか?」
ミアの問いに、店員は丁寧に頷いた。
「はい」
「魔石は魔法を使うための触媒です」
「魔法使いであれば、魔石に蓄えられた魔素を利用して魔法を発動できます」
「ですが……」
店員は困ったように笑う。
「魔石そのものが高価なのです」
「魔鉱石を精錬して作るため、どうしても価格が高くなってしまいます」
エルンストが静かに補足した。
「魔素を使い切れば魔水晶になる」
「再び魔素を充填すれば魔石として再利用できるが、その作業にも費用がかかる」
ミアは小さく頷いた。
「つまり、庶民には簡単に手が届かないのですね」
「その通りです」
店員は苦笑しながら答えた。
市場の奥へ進むと、今度は魔道具を扱う店が現れる。
ランタン。
湯沸かし器。
暖房具。
生活を便利にする魔道具が並んでいた。
しかし、値札を見たミアは思わず息を呑む。
「高い……」
店主は申し訳なさそうに笑った。
「魔道具は職人が一つひとつ魔法陣を刻んで作る一点物です」
「技術も時間も必要ですから、どうしても高価になります」
エルンストが続ける。
「しかも、魔道具は魔素を流し込まなければ起動しない」
「つまり、使用するには魔法使いであることが前提になる」
ミアははっとした。
「魔法が使えない人は……」
「ああ」
エルンストは静かに頷く。
「買えたとしても使えない」
「魔法は才能だけでなく、長い年月をかけた学習と訓練が必要だ」
「誰もが扱える力ではない」
市場を歩けば歩くほど、現実が見えてくる。
薪は高い。
石炭も高い。
魔石はさらに高価。
魔道具は高価なうえ、魔法使いでなければ扱えない。
冬を越すための手段は確かに存在する。
だが、その多くは庶民には手が届かないものばかりだった。
ミアは市場を行き交う人々を見つめた。
厚着をしていても、皆どこか寒そうだった。
「冬とは……」
自然と呟きが漏れる。
「命懸けなのですね」
エルンストは静かに頷く。
「ああ」
「だから私は、この国から凍える者を一人でも減らしたい」
その言葉には、皇帝としての揺るぎない決意が込められていた。
ミアは市場をゆっくりと見渡す。
人々の笑顔の裏にある苦しみ。
冬を越えることさえ容易ではない現実。
その光景は、深く胸に刻まれた。
(もし……)
(誰でも使える暖房があったなら――)
その小さな思いつきが、後に帝国中の暮らしを変える、大きな発明へと繋がっていくことになるのであった。




