第64話 影武者作戦
お忍び視察の出発を翌日に控えた午後。
離宮の応接室では、最後の作戦会議が開かれていた。
集まっているのは、エルンスト、ミア、クロエ。
そして、ミアにしか見えない二人の妖精――リリとアルである。
机の上には帝都の地図と数枚の書類が広げられていた。
「問題は、お二人が皇宮を空けることです」
クロエが地図を指差しながら言う。
「数日とはいえ、皇帝陛下と未来の皇妃殿下が同時に姿を消せば、皇宮中が大騒ぎになります」
エルンストも静かに頷いた。
「公務も止められん」
「完全に姿を消すわけにはいかない」
ミアも難しい表情を浮かべる。
「やっぱり、お忍び視察は難しいのでしょうか……」
重苦しい空気が流れた。
その時だった。
『だったら簡単じゃん』
リリが羽をぱたぱたと動かしながら笑う。
『俺たちが代わればいい』
アルも当然のように言った。
ミアは目を丸くした。
「代わるって……」
『変化魔法だよ!』
リリが胸を張る。
『忘れたの?』
「あっ!」
ミアは手を打った。
妖精には姿を変える変化魔法がある。
それも幻ではない。
実体を持った完全な変身だ。
触れることもできる。
歩くこともできる。
食事も、公務も、すべて本人と同じように振る舞える。
ミアはエルンストとクロエへ向き直った。
「陛下、クロエ様」
「私たちの代わりになってもらえる方法があります」
二人は顔を見合わせる。
「代わり……とな?」
クロエが首を傾げる。
エルンストも静かに尋ねた。
「詳しく説明してくれ」
ミアは頷く。
「実は、私にしか見えない妖精たちがいます」
「その妖精たちは、変化魔法を使って人間の姿に変身できるんです」
「変身すると実体を持つので、誰でも姿を見ることができます」
「しかも、本人そっくりになります」
クロエは腕を組んだ。
「なるほど……」
「では実際に見せてもらえるかの」
『もちろん!』
『任せろ』
二人は笑った。
その瞬間、小さな身体が淡い光に包まれる。
魔力がゆっくりと渦を巻き、部屋いっぱいへ柔らかな光が満ちていく。
やがて光が収まる。
そこに立っていたのは――
ミア。
そして、エルンストだった。
本物と寸分違わぬ姿。
髪。
瞳。
背丈。
服装。
細かな仕草に至るまで、完全に再現されている。
クロエは思わず息を呑んだ。
「なんと……」
エルンストも珍しく目を見開く。
「見事だ」
偽のエルンストとなったアルが静かに歩き出す。
一歩。
また一歩。
歩き方まで本人そのものだった。
「声はどうじゃ?」
クロエが尋ねる。
「……どうした」
低く落ち着いた声。
エルンスト本人と聞き分けることは到底できない。
クロエは感嘆の息を漏らした。
「完璧じゃ……」
続いて偽のミアとなったリリが優しく微笑む。
「クロエ様、お茶が入りました」
柔らかな声。
穏やかな笑顔。
ミア本人そのものだった。
「私が二人いるみたい……」
本物のミアは思わず呟く。
リリは嬉しそうにその場で一回転した。
「どうですか?」
その笑顔まで鏡写しだった。
クロエは偽の二人の周囲を歩き回る。
肩に触れる。
腕を軽く叩く。
衣服を摘まむ。
どれも確かな感触があった。
「実体まであるとは……」
「恐れ入ったのう」
エルンストも静かに頷く。
「十分だ」
「これなら影武者を任せられる」
『やったぁ!』
リリが思わず飛び跳ねる。
その拍子に、耳がぴょこんと妖精のものへ戻りかけた。
「あっ」
慌てて両手で耳を押さえる。
『気を抜くな』
アルが呆れたように言う。
『本番でやったら終わりだぞ』
『うぅ……』
リリはしょんぼりと肩を落とした。
クロエは苦笑する。
「変身は完璧じゃ」
「じゃが、中身はいつものリリじゃのう」
部屋に笑いが広がった。
エルンストも小さく口元を緩める。
「本番では皇妃らしく振る舞え」
『はい!』
リリは勢いよく返事をした。
「……返事が元気すぎる」
エルンストがぼそりと呟く。
クロエも吹き出した。
「まずは立ち居振る舞いから特訓じゃな」
『えぇー!?』
リリが悲鳴を上げる。
『頑張れ』
アルだけが他人事のように笑っていた。
こうして影武者作戦は正式に決定した。
数日間、皇宮には偽の皇帝と偽の皇妃が残る。
本物のエルンストとミアは身分を隠し、帝国各地の民の暮らしをその目で見に行く。
帝国の未来を変える、お忍び視察。
その第一歩が、静かに幕を開けようとしていた。




