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婚約破棄されて捨てられた令嬢ですが、隣国の冷徹皇帝陛下がなぜか私を離してくれません!?  作者: Atelier Lotus


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第60話 不穏な影

 暗殺未遂事件から三日が過ぎた。


 皇宮には、依然として重苦しい緊張感が漂っている。


 表向きには、婚約披露宴で起きた不測の事故として処理されていた。


 しかし、その実態はまったく異なる。


 未来の皇帝と未来の皇妃を狙った、明確な暗殺未遂事件。


 しかも用いられたのは毒ではなく、高濃度の魔素による殺害という前例のない手口だった。


 犯人は見つかっていない。


 証拠もない。


 それでも帝国は平穏を装い、何事もなかったかのように日常を取り戻しつつあった。


 だが――。


 本当に終わったわけではない。


 ミアは、そう感じていた。


 暖かな春の日差しが差し込む午後。


 ミアは皇宮の回廊をゆっくりと歩いていた。


 窓の外では庭師たちが花壇の手入れをしている。


 色とりどりの花々。


 芽吹き始めた若葉。


 柔らかな風が吹き抜け、穏やかな春の景色が広がっていた。


 だが――。


「……」


 ミアはふと足を止めた。


 胸の奥がざわつく。


 理由は分からない。


 説明もできない。


 けれど、何かがおかしい。


 そんな感覚だけが消えなかった。


『どうした?』


 アルが首を傾げる。


『何か見えた?』


 リリも辺りを見回した。


 ミアは小さく首を横に振る。


「分からないの」


「でも……何かが引っ掛かるの」


 静かに精霊眼を発動する。


 世界の見え方が一変した。


 火、水、風、土。


 無数の魔粒子が穏やかに漂い、魔素の流れにも乱れはない。


 どこを見ても異常は見当たらなかった。


 それなのに、胸騒ぎだけが消えない。


『変だな』


 アルが珍しく真面目な表情になる。


『俺も少し嫌な感じがする』


『私も……』


 リリも羽を小さく震わせた。


『何かが近付いてる気がする』


 ミアは二人を見つめる。


 妖精たちまで同じ感覚を抱いている。


 ならば気のせいではない。


 確かに何かが起きようとしている。


 だが、それが何なのかは分からなかった。


 その得体の知れない不安だけが、静かに胸の奥へ広がっていく。


 その日の夜。


 ミアは皇帝執務室を訪れていた。


 エルンストは相変わらず書類の山と向き合っている。


 その隣では、皇兄クラウスも文官たちから届けられた報告書へ目を通していた。


「陛下」


「兄上」


 ミアの声に、二人が同時に顔を上げる。


「どうした」


 エルンストが尋ねた。


 ミアは少しだけ迷う。


 証拠はない。


 根拠もない。


 それでも、話さずにはいられなかった。


「嫌な予感がするんです」


「誰かが、まだ動いている気がして……」


「見えないところで」


 執務室に静かな沈黙が流れた。


 やがて、エルンストが静かに口を開く。


「俺も同じ考えだ」


 ミアは目を見開いた。


「陛下も……?」


「ああ」


 エルンストは窓の外へ視線を向ける。


「犯人は捕まっていない」


「事件は終わっていない」


 短い言葉だった。


 だが、その確信に揺らぎはなかった。


 皇兄クラウスも静かに頷く。


「私も同感です」


 穏やかな口調だった。


 しかし、その表情は真剣そのものだった。


「事件が解決したと思っているのは民だけです」


「犯人はまだ目的を果たしていません」


「必ず、再び動くでしょう」


 ミアは小さく息を呑む。


 皇兄クラウスも、自分たちと同じ結論へ辿り着いていた。


「それまでに備えなければなりません」


 クラウスは落ち着いた口調で続ける。


「皇宮の警備はさらに強化しました」


「各地の領主にも警戒を促しています」


「ですが、それでも安心はできません」


 エルンストは静かに頷いた。


「ああ」


「相手はこちらの動きを知っている」


「ならば、こちらも油断はできない」


 暗殺未遂。


 消えた証拠。


 帝国中枢に潜む敵。


 何一つ解決していない。


 むしろ――。


 これは、すべての始まりに過ぎないのかもしれなかった。


 ふと、窓の外で風が吹く。


 若葉が静かに揺れた。


 まるで、誰かが遠くからこちらを見つめているかのように。


 ミアは小さく身震いする。


 見えない場所で。


 静かに。


 そして確実に。


 誰かが動いている。


 そんな予感がしてならなかった。


 帝国を揺るがす巨大な陰謀は、まだ誰にもその正体を見せぬまま、静かに牙を研いでいたのである。

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