第57話 消えた証拠
婚約披露宴は中止となった。
大広間は封鎖され、招待されていた貴族たちは次々と別室へ案内されていく。
未来の皇帝と未来の皇妃を狙った暗殺未遂。
さらに皇太妃クラリッサの失神。
もはや一つの祝宴で済まされる話ではない。
帝国そのものを揺るがす重大事件だった。
「会場を封鎖しろ!」
「出入口を固めろ!」
「関係者全員を拘束し、事情聴取を開始せよ!」
憲兵隊長の怒号が大広間へ響き渡る。
先ほどまで祝福に包まれていた会場は、一瞬にして捜査本部へと姿を変えた。
料理人。
給仕。
侍女。
護衛騎士。
楽団員。
出入り業者。
その場にいた全員が、一人残らず事情聴取を受ける。
厨房も徹底的に調べ上げられた。
食材の仕入れ先。
保管庫。
調理器具。
魔導具。
あらゆる場所を憲兵たちが細かく調査していく。
しかし――。
「異常ありません!」
「毒物反応なし!」
「怪しい薬品も確認できません!」
返ってくる報告は、どれも同じだった。
毒薬はない。
毒草もない。
不審な薬品も存在しない。
厨房は驚くほど整然としており、犯人へ繋がる痕跡は何一つ残されていなかった。
報告書を読み終えたエルンストが静かに息を吐く。
「何も出ないか」
「はい、陛下」
近衛騎士は頭を下げた。
「料理人、給仕ともに潔白です」
「全員の行動記録も確認しましたが、不審な接触は認められませんでした」
エルンストの眉間に深い皺が刻まれる。
通常の暗殺なら、必ず証拠が残る。
毒薬。
凶器。
買収。
脅迫。
しかし今回は何もない。
「当然じゃな」
腕を組んだクロエが静かに言う。
「犯人は毒を使ったわけではない」
「料理へ高濃度の魔素を流し込んだだけじゃ」
その言葉に部屋の空気が重く沈んだ。
現場へ残るのは魔素だけ。
そして魔素は時間と共に霧散し、証拠として残りにくい。
『ずるいな』
アルが腕を組む。
『毒じゃないから証拠にならない』
『でも、あの嫌な感じは本物だったよ』
リリも不安そうに羽を縮めた。
ミアは静かに頷く。
妖精たちは魔粒子そのものを感じ取れる。
だからこそ、あの異常を誰より早く察知していた。
「魔法による犯行……」
ミアが小さく呟く。
「しかも相当な手練れじゃ」
クロエは頷いた。
「術式の痕跡がほとんど残っておらん」
宮廷魔法使いたちも次々と報告する。
「魔力の流れは途中で途切れています」
「犯行経路の特定は困難です」
「高度な隠蔽術式が施されています」
普通なら魔法には必ず痕跡が残る。
だが犯人は、それすら完全に消し去っていた。
まるで最初から何も存在しなかったかのように。
「つまり」
エルンストが静かに言う。
「犯人は最初から証拠を残さぬつもりだった」
「その通りじゃ」
クロエは頷く。
重苦しい沈黙が部屋を包む。
その静寂を破ったのは、皇兄クラウスだった。
「陛下」
エルンストが兄へ視線を向ける。
「今回の件は皇室だけの問題ではありません」
「帝国中の貴族がこの事件を目撃しています」
「誤った噂が広がれば、帝国全体が混乱します」
穏やかな口調だった。
だが、その一言一言には重みがあった。
「事件の詳細は伏せ、事実のみを公表すべきでしょう」
「犯人が捕まるまでは、不必要な憶測を生ませてはなりません」
エルンストは静かに頷く。
「ああ」
「その件は兄上に任せる」
「承知いたしました」
クラウスは一礼すると、すぐに文官たちへ的確な指示を出し始めた。
来賓への説明。
各領地への通達。
情報の整理。
風評の抑制。
動揺する貴族たちへの対応。
その采配は無駄がなく、混乱していた現場は少しずつ落ち着きを取り戻していく。
その様子を見て、クロエも感心したように頷いた。
「さすがはクラウス皇兄殿下じゃ」
「政務となれば右に出る者はおらん」
クラウスは苦笑する。
「私は私にできることをしているだけです」
その謙虚な姿勢に、その場の誰もが信頼を寄せていた。
その時だった。
クロエがふとミアへ視線を向ける。
「それにしてもじゃ」
「え?」
「なぜ分かったんじゃ?」
部屋にいた全員の視線がミアへ集まる。
「普通の者には見えん」
「宮廷魔法使いですら気付けなかった」
「どうして料理の異常に気付けた?」
ミアは一瞬だけ迷った。
だが、隠す理由はない。
「精霊眼です」
その言葉にクロエの眉がぴくりと動く。
「白竜皇妃エイル様に教えていただきました」
「私の眼は精霊眼だそうです」
「白竜皇妃陛下にお会いしたのか」
クロエは驚いたように目を見開いた。
「それは実に珍しいことじゃ」
宮廷魔法使いたちもざわめく。
「竜皇妃陛下は滅多に人前へ姿を現されぬお方じゃ」
「まして誰かへ教えを授けるなど聞いたことがない」
クロエは興味深そうに頷いた。
「なるほど……精霊眼か」
「道理で見えたわけじゃ」
ミアは静かに説明する。
「料理の周囲だけ、火、水、風、土、すべての魔粒子が異常な密度で押し込められていました」
「黒い靄のように見えたんです」
「それに妖精たちも近寄ろうとしませんでした」
「皆、とても怯えていました」
クロエは深く頷く。
「妖精が避けたか」
「ならば間違いない」
「妖精は魔粒子の揺らぎに最も敏感な存在じゃ」
「人間では到底耐えられぬ濃度だったということじゃな」
クロエはゆっくり目を閉じ、静かに考え込む。
やがて顔を上げた。
「つまり犯人は魔法使いじゃ」
その一言で空気が再び張り詰めた。
「料理へ直接魔素を流し込んだ」
「毒薬も凶器も必要ない」
「じゃが逆に言えば――」
クロエは静かに言う。
「魔法を扱える者へ容疑者を絞ることができる」
事件解決への糸口が、ようやく見え始めていた。
しかし同時に、それは新たな恐怖でもある。
高度な隠蔽術式を操る魔法使い。
そんな危険な人物が、今も帝国のどこかへ潜んでいる。
ミアは静かに拳を握り締めた。
戦いは――まだ始まったばかりだった。




