第52話 婚約披露宴
そして――。
婚約披露宴当日。
帝都シュヴァルツブルクの空には雲一つなく、澄み渡る青空が広がっていた。
皇宮は朝から慌ただしい空気に包まれている。
使用人たちは最後の確認に追われ、騎士たちは厳重な警備体制を敷いていた。
今日という日は特別だった。
ヴァイスラント帝国皇帝エルンスト・フォン・ヴァイスラント。
そして未来の皇妃ミア・ランベルト。
二人の婚約を、帝国中へ正式に披露する日なのである。
会場となる大広間は豪華絢爛そのものだった。
天井から吊るされた巨大なシャンデリア。
美しく磨き上げられた大理石の床。
色鮮やかな花々で彩られた壁。
楽団が奏でる優雅な音楽。
そして長いテーブルには豪華な料理が所狭しと並べられていた。
帝国中の名だたる貴族たちが集まっている。
地方領主。
重臣。
将軍。
学者。
商会の代表者たち。
まさに帝国の中枢を担う者たちだった。
会場は期待と祝福の空気に満ちている。
控室。
正装に身を包んだミアは、鏡の前で小さく深呼吸した。
それでも胸の鼓動は収まらない。
そんな彼女を見て、クラリッサが静かに口を開いた。
「緊張していますか?」
「とても……」
正直に答えると、クラリッサは小さくため息をついた。
「当然です」
その返答は予想外だった。
「え?」
「皇妃となる者が緊張しない方がおかしいでしょう」
クラリッサは腕を組む。
「ですが」
蒼い瞳が真っ直ぐミアを見据えた。
「その緊張を顔に出すことは許しません」
ミアの背筋がぴんと伸びる。
「今日集まっている者たちは、祝福するためだけに来ているわけではありません」
「はい」
「あなたを品定めするために来ている者もいます」
厳しい言葉だった。
「中には他国出身のあなたを快く思わない者もいるでしょう」
「失敗を期待している者もいます」
「皇妃失格だと嘲る機会を待っている者もいます」
ミアは思わず拳を握り締めた。
クラリッサは容赦なく続ける。
「だから俯いてはいけません」
「怯えてもいけません」
「それでは相手を喜ばせるだけです」
部屋が静まり返る。
やがてクラリッサは静かに問いかけた。
「あなたは、誰に選ばれたのですか?」
ミアは顔を上げる。
「白竜皇陛下です」
「その通りです」
クラリッサは力強く頷いた。
「白竜皇陛下が認めた方が、貴族ごときの視線に怯える姿など見たくありません」
その言葉には強い誇りが込められていた。
「堂々としていなさい」
「未来の皇妃として」
そして、少しだけ表情を和らげる。
「エルンストの隣に立つ者として」
ミアは息を呑んだ。
厳しい。
だが、その言葉には確かな信頼も感じられた。
「はい」
力強く頷く。
クラリッサは満足そうに小さく頷いた。
「その顔なら問題ありません」
それだけ言った。
褒め言葉らしくない褒め言葉。
だが、ミアには十分だった。
その時、扉が静かに開く。
「時間だ」
エルンストだった。
正装に身を包んだ皇帝は、いつも以上に凛々しい。
その後ろから、皇兄クラウスも穏やかな笑みを浮かべて姿を現した。
「いよいよだね」
クラウスは弟へ優しく微笑む。
「ああ」
エルンストは静かに頷いた。
続いてクラウスはミアへ視線を向ける。
「ミアさん」
「今日は緊張するだろうけれど、大丈夫」
「皆が二人を祝福している」
「どうか胸を張って、エルンストの隣に立ってあげてほしい」
その優しい言葉に、ミアの表情も自然と和らぐ。
「ありがとうございます、皇兄殿下」
クラウスは満足そうに頷いた。
「今日は君たち二人の日だ」
「私は兄として、心から祝福しているよ」
三人は控室を後にした。
やがて大広間の扉が開かれる。
その瞬間。
無数の視線が二人へ集まった。
ざわめいていた会場が、一瞬で静まり返る。
エルンストが歩く。
ミアもその隣を歩く。
一歩ずつ。
ゆっくりと。
堂々と中央へ進んでいく。
やがて壇上へ到着した。
司会役の貴族が高らかに宣言する。
「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
会場中が耳を傾けた。
「ここに、ヴァイスラント帝国皇帝エルンスト・フォン・ヴァイスラント陛下と、ミア・ランベルト様の婚約成立をご報告いたします」
その瞬間だった。
最初に拍手を送ったのは、クラウス皇兄殿下だった。
穏やかな笑みを浮かべながら、誰よりも心から二人を祝福するように拍手を送る。
その拍手に続くように、大広間は盛大な拍手と歓声に包まれた。
会場が揺れるほどの祝福。
笑顔。
歓喜。
誰もが二人を見つめていた。
ミアは思わず息を呑む。
ほんの数か月前。
故郷では居場所を失っていた。
婚約者に捨てられた。
家族にも見放された。
未来など何も見えなかった。
それなのに今は違う。
こんなにも多くの人々が、自分たちを祝福してくれている。
胸が熱くなった。
隣を見る。
エルンストがいた。
その少し後ろには、優しく微笑むクラウス皇兄殿下と、温かく見守るクラリッサの姿がある。
家族に囲まれている。
その事実が、何よりも嬉しかった。
『すごいな』
アルが感心したように呟く。
『本当にお姫様みたい!』
リリも嬉しそうに羽を羽ばたかせる。
もちろん、その姿が見えるのはミアだけだった。
ミアは小さく微笑み、ゆっくりと会場へ一礼する。
再び大きな拍手が響いた。
祝福に満ちた空間。
穏やかな音楽。
華やかな宴。
誰もが二人の未来を祝っていた。
少なくとも――。
この時までは。




