第48話 皇帝の悩み
その夜。
一行はフロストハイム村の宿屋へ宿泊していた。
村で唯一の宿は質素な建物だった。
古びた木の床。
小さな食堂。
決して豪華ではない。
だが暖炉には火が灯り、冷えた身体を優しく温めていた。
外では風が唸っている。
窓を揺らす音が静かな夜に響いていた。
ミアは暖炉の前に座りながら炎を見つめる。
昼間の光景が頭から離れなかった。
薄い服を着た子供たち。
薪を集める老人たち。
寒さによって命を落とした村人。
胸が苦しくなる。
その時だった。
「眠れないのか」
低い声が聞こえた。
振り返る。
エルンストだった。
どうやら彼もまだ起きていたらしい。
「陛下こそ」
「私もだ」
短い返事だった。
エルンストは暖炉の向かいへ腰を下ろす。
ぱちり、と薪が爆ぜた。
しばらく沈黙が続く。
暖炉の炎だけが静かに揺れていた。
やがて。
「今日の村を見てどう思った」
エルンストが尋ねた。
ミアは少し考える。
「苦しいと思いました」
「皆さん一生懸命生きているのに」
「寒さだけはどうにもならない」
それが正直な気持ちだった。
エルンストは静かに頷く。
「そうだな」
そして。
暖炉の炎を見つめながら呟いた。
「ずっと解決したかった」
ミアは顔を上げる。
エルンストの視線は炎へ向けられたままだった。
「皇帝になった時からだ」
十六歳。
白竜皇に選ばれ、帝国を継いだ少年。
それから五年。
彼はずっと帝国を背負い続けてきた。
「毎年報告が上がってくる」
静かな声だった。
「燃料不足」
「凍死者」
「雪害」
「飢餓」
炎が揺れる。
その光がエルンストの横顔を照らしていた。
「支援もした」
「税も軽くした」
「街道も整備した」
「備蓄も増やした」
一つ一つ。
できることはすべてやってきた。
皇帝として。
全力で。
「だが根本的な解決にはならない」
苦い声だった。
「冬は毎年来る」
「雪も降る」
「寒さも消えない」
ミアは黙って聞いていた。
「暖を取るには薪が必要だ」
「だが森林には限りがある」
「切りすぎれば山が死ぬ」
エルンストは拳を握る。
「分かっている」
「民が苦しんでいることは」
「寒さで命を落とす者がいることも」
その声には悔しさが滲んでいた。
「だが方法が見つからない」
ミアは息を呑む。
初めて見た。
皇帝としてではない。
一人の人間として悩むエルンストの姿を。
冷徹皇帝。
人々はそう呼ぶ。
だが違う。
この人は誰よりも民のことを考えている。
だからこそ苦しんでいるのだ。
『……』
リリも静かだった。
『難しい問題だな』
アルも珍しく真面目な声だった。
暖炉の火が揺れる。
やがてミアは口を開いた。
「陛下」
「なんだ」
「一人で悩んでいたんですね」
エルンストは少しだけ目を細めた。
そして小さく笑う。
「皇帝だからな」
その笑みはどこか寂しかった。
「相談できる相手も多くはない」
ミアは以前ミュゲから聞いた言葉を思い出す。
――人は一人では生きていけません。
――支えられることも必要なのです。
ミアは暖炉の炎を見つめた。
そして静かに言う。
「なら」
エルンストが顔を上げる。
「私も一緒に考えます」
暖炉の火が揺れた。
「ミア」
「難しいことは分かりません」
「政治も勉強中です」
ミアは少しだけ笑う。
「でも」
「一人より二人の方が良いと思います」
しばらく沈黙が続いた。
外では冷たい風が吹いている。
だが暖炉の前だけは暖かかった。
やがてエルンストは小さく息を吐く。
それは肩の力が抜けたような表情だった。
「そうだな」
静かな声だった。
「その通りかもしれない」
ミアも微笑む。
答えはまだ見つからない。
寒さをなくす方法も。
燃料不足を解決する方法も。
何一つ分からない。
それでも。
二人は同じ方向を見ていた。
この国の人々が。
少しでも暖かく暮らせる未来を作りたい。
その願いだけは確かだった。
暖炉の炎が静かに揺れる。
その小さな灯火のように。
二人の胸にもまた、新たな決意が灯っていたのだった。




