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第45話 大聖女の祝福

 婚約の報告を終えた後も、応接室には穏やかな空気が流れていた。


 窓から差し込む春の陽光。


 香り高い紅茶。


 どこか懐かしさを感じる静かな時間だった。


 ミアはふと目の前の女性を見る。


 大聖女ミュゲ・ジプソフィル。


 三十年前、魔王を討伐し世界を救った英雄。


 だが今は、穏やかな笑顔を浮かべる一人の女性にしか見えなかった。


 そんなミュゲが、不意に口を開く。


「実はですね」


 その声はどこか照れくさそうだった。


「昔の私は、今よりずっと頑固だったんですよ」


 ミアは思わず目を瞬かせた。


 頑固。


 その言葉は今のミュゲからは想像できない。


 しかし。


「それは本当じゃな」


 クロエが即座に頷いた。


「かなり頑固じゃった」


「クロエさんほどではありません」


「わしより頑固じゃ」


「それはありません」


 即座に言い返す。


 まるで昔から変わらないやり取りだった。


 ミアは思わず笑みを零す。


 するとミュゲも苦笑しながら続けた。


「聖女の力に目覚めた頃の私は、自分一人で何とかしなければならないと思っていました」


 その言葉にミアは耳を傾ける。


「私が皆を守らなければならない」


「私が頑張ればいい」


「私が傷付けば済む話だと」


 静かな口調だった。


 けれど。


 その言葉には確かな実感があった。


「だから誰にも頼りませんでした」


「弱音も吐きませんでした」


「助けも求めませんでした」


 ミュゲは小さく笑う。


「結果としてどうなったと思います?」


 ミアは少し考える。


 そして恐る恐る答えた。


「無理をしすぎた……とか?」


「正解です」


 ミュゲは頷いた。


「倒れました」


 あまりにもあっさりした答えだった。


『倒れたのか』


『倒れたんだ』


 アルとリリが同時に呟く。


 ミュゲは苦笑する。


「それも盛大に」


「三日ほど意識が戻らんかったな」


 クロエが補足した。


「そんなに……!?」


 ミアは驚く。


 歴史に名を残す大聖女にもそんな過去があったのか。


「その時に教えられたんです」


 ミュゲは懐かしそうに目を細める。


「人は一人では生きていけない」


「支えられることも必要なのだと」


 その言葉に。


 部屋が静かになる。


 ミュゲはゆっくりと二人を見る。


「エルンスト陛下」


「はい」


「あなたは責任感が強い方です」


 エルンストは黙って耳を傾ける。


「だからこそ無理をしてしまう」


「全部自分で抱え込もうとしてしまう」


 クロエが大きく頷いた。


「するのう」


「するな」


 アルも頷く。


『する』


『絶対する』


 リリまで加わった。


 完全な包囲網だった。


 エルンストは小さくため息を吐く。


 だが否定はしない。


 ミュゲは微笑んだ。


「強い人ほど誰かに頼ることが苦手です」


「ですが」


「頼ることは弱さではありません」


 その言葉にエルンストは静かに目を伏せた。


 ミュゲは続ける。


「そしてミアさん」


「はい」


「あなたも同じです」


 ミアは驚いた。


「私は……」


「自分のことを後回しにしてしまうでしょう?」


 図星だった。


 言葉が出てこない。


 家族のため。


 妹のため。


 いつも自分より誰かを優先してきた。


 それが当たり前だった。


 ミュゲは優しく微笑む。


「誰かを思いやることは素晴らしいことです」


「ですが、自分を大切にすることも忘れないでください」


 ミアは胸の奥が少し熱くなるのを感じた。


 そんな言葉をかけられたことはなかった。


「あなたが倒れたら悲しむ人がいます」


 ミアは思わず隣を見る。


 エルンストがいた。


 視線が合う。


 ほんの一瞬だった。


 だが、それだけで胸が少し温かくなった。


 ミュゲはそんな二人を見て満足そうに微笑む。


「夫婦とは支え合うものです」


「片方だけが頑張るものではありません」


「嬉しいことも」


「苦しいことも」


「二人で分け合ってください」


 それは英雄としての言葉ではなかった。


 一人の女性として。


 一人の人生の先輩として。


 心からの願いだった。


 ミアは深く頭を下げる。


「ありがとうございます」


 エルンストも静かに頷いた。


「忘れません」


 ミュゲは優しく微笑む。


 そして、そっと両手を重ねた。


「それでは最後に」


 柔らかな声が響く。


「婚約したお二人に、祝福を授けましょう」


 その言葉にミアは目を見開いた。


「祝福……ですか?」


「はい」


 ミュゲは穏やかに頷く。


「大聖女の祝福は、幸せを約束する魔法ではありません」


「困難が消えるわけでもありません」


「ですが」


「大切な人を想う気持ちを忘れないよう、そっと背中を押してくれるものです」


 そう言ってミュゲは立ち上がった。


 窓から差し込む陽光が、その銀色の髪を淡く照らす。


 彼女が静かに祈りの言葉を紡ぐと、柔らかな光が指先から溢れた。


 春の日差しにも似た温かな光。


 それはゆっくりとミアとエルンストを包み込む。


『おお……』


 アルが感嘆の声を漏らす。


『きれい……』


 リリも見惚れていた。


 光は眩しくない。


 ただ優しく、心の奥まで染み渡るようだった。


 ミアは胸の中に温かなものが灯るのを感じる。


 不安も迷いも消えたわけではない。


 けれど。


 一人ではないのだと。


 これからは支え合って歩いていけるのだと。


 そんな確かな安心感があった。


 隣を見ると、エルンストも静かに光を見つめていた。


 そしてふと視線が重なる。


 今度はどちらも逸らさなかった。


 自然と微笑み合う。


 その様子を見て、ミュゲは満足そうに頷いた。


「どうか末永くお幸せに」


 祝福の光がゆっくりと消えていく。


 けれど、その温もりだけは心に残り続けていた。


 窓の外では春の風が木々を揺らしていた。


 穏やかな午後だった。


 世界を救った大聖女から贈られた言葉と祝福。


 それはきっと。


 これから先も二人の心に残り続けるのだろう。


 迷った時も。


 苦しい時も。


 立ち止まりそうになった時も。


 今日の言葉を思い出せるように。


 それは何より温かく、何より優しい祝福だった。

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