第43話 英雄たち
応接室には和やかな空気が流れていた。
先ほどまで伝説の英雄だと思っていたクロエが、実は身近な変人の延長線上にいることを知ったミアは、何とも言えない気持ちになっていた。
尊敬はしている。
だが。
少しだけ親近感も湧いている。
「信じられません……」
ミアはぽつりと呟いた。
「クロエ様が魔王討伐隊だったなんて」
「何じゃその反応は」
クロエが不満そうな顔をする。
「いや、だって……」
「今でも十分すごい人じゃろう?」
「それはそうですが……」
ミアは言葉に詰まった。
研究室で魔導書に埋もれている姿が、どうしても先に浮かんでしまう。
その様子を見ていたミュゲが小さく笑った。
「昔も似たようなものでしたよ」
「おい」
クロエが嫌そうな顔をする。
「旅の最中も、魔導書ばかり読んでいました」
「必要じゃったからじゃ」
「野営中も?」
「必要じゃった」
「移動中も?」
「必要じゃった」
「食事中も?」
「必要じゃった」
即答だった。
ミアは思わず吹き出した。
『今と同じだ』
『全然変わってないな』
アルとリリも呆れたように頷く。
「一度なんて」
ミュゲは懐かしそうに続けた。
「魔導書を読みながら歩いていて、崖から落ちかけましたよね」
「やめろ」
「本当ですか?」
ミアが目を丸くする。
「本当です」
ミュゲは笑った。
「崖際で足を踏み外して、そのまま落ちそうになったんです」
「サンセリテさんが『クロエ様!?』って慌てて飛び出して」
「風魔法で受け止められたんじゃ……」
クロエが顔をしかめる。
「あと少し遅れていたら大怪我でした」
「……若気の至りじゃ」
「三十五歳でしたよね?」
「やめろ」
部屋に笑いが広がる。
ミアは驚いていた。
歴史書に載る英雄たちにも、そんな失敗があるのか。
「サンセリテ様はどんな方だったんですか?」
ミアが興味津々で尋ねる。
その名は歴史書にもよく記されている。
魔王討伐隊の大魔法使い。
数々の戦場で伝説を残した人物だ。
「サンセリテですか」
ミュゲは少し考え、ふっと微笑んだ。
「とても優しい人でした」
「優しい?」
「はい。誰よりも気配りができる人でしたね」
クロエも頷く。
「世話焼きじゃったな」
「旅の準備も、野営の段取りも、だいたいサンセリテさんがやっていました」
「魔法使いなのにですか?」
「魔法使いだからじゃない」
クロエが肩をすくめる。
「サンセリテだからじゃ」
妙に説得力があった。
「アーサー様は?」
「真面目でしたね」
ミュゲが即答する。
「本当に真面目でした」
「融通が利かんほどにな」
クロエが苦笑する。
「規律、礼節、鍛錬」
「毎日欠かさずでした」
「朝は誰よりも早く起きて素振りをしておった」
「雨の日も?」
「しておった」
「嵐の日も?」
「しておった」
「馬鹿じゃったな」
「努力家だったんですよ」
ミュゲが優しく訂正する。
「それに」
クロエが思い出したように続ける。
「困った人を見過ごせん男じゃった」
「そうでしたね」
ミュゲも懐かしそうに頷いた。
「ある町で、荷車がぬかるみに嵌まっていたことがあったんです」
「魔王軍の動きを追って急いでおった時じゃな」
「普通なら通り過ぎてもおかしくなかったんですが」
「アーサーは真っ先に荷車を押しに行った」
「しかも一台だけじゃありませんでした」
ミュゲが苦笑する。
「気づけば周囲の荷運びまで手伝っていて」
「出発が半日遅れた」
「クロエ様、すごく怒ってましたよね」
「当然じゃ」
クロエが即答する。
「じゃが」
少しだけ表情を和らげた。
「助けられた者たちは皆喜んでおった」
「アーサー様らしいですね」
ミアが思わず呟く。
「らしかったですよ」
ミュゲは優しく笑った。
「困っている人を見ると放っておけないんです」
「聖騎士というより、お人好しじゃったな」
クロエの言葉に、部屋に小さな笑いが広がった。
ミアは思わず笑った。
「アデラーン様は?」
その名を出した瞬間。
少しだけ空気が変わった。
暗黒騎士アデラーン。
歴史上でも特に謎の多い人物だ。
ミュゲとクロエは顔を見合わせる。
そして。
二人同時にため息をついた。
「面倒な男じゃった」
「面倒な人でしたね」
完全に意見が一致していた。
「ええっ?」
ミアが驚く。
「もっとこう……怖い人とか」
「怖かったですよ」
ミュゲは頷く。
「強かったですし」
「無愛想じゃったし」
「口数も少なかったです」
「じゃが」
クロエが少し笑う。
「妙なところで律儀だった」
「そうですね」
ミュゲも笑った。
「頼まれたことは絶対に忘れませんでした」
「一度、村の子供に木剣を直してくれと頼まれてな」
「魔王討伐の途中だったのに」
「翌日には直して渡しておった」
「覚えてたんですか?」
「覚えていました」
「そういう人でした」
ミアは少し意外に思った。
歴史書では分からない話だった。
「皆さん仲が良かったんですね」
その言葉に。
ミュゲは少しだけ考える。
「仲が良かったというより」
「家族みたいなものだったかもしれません」
クロエも静かに頷いた。
「長い旅じゃったからな」
「喧嘩もしました」
「何度もな」
「でも」
ミュゲが微笑む。
「皆がいたから最後まで戦えました」
部屋が静かになる。
「魔王を倒せたのは」
「私たちが特別だったからではありません」
「支え合えたからです」
その言葉には重みがあった。
三十年前。
世界を救った英雄たち。
だが彼女たちは最初から英雄だったわけではない。
互いを支えながら歩んできた仲間だったのだ。
ミアはその姿を思い浮かべる。
大聖女ミュゲ。
学者クロエ。
魔法使いサンセリテ。
聖騎士アーサー。
暗黒騎士アデラーン。
歴史に名を残した五人。
けれど今聞こえてくるのは。
伝説ではなく。
仲間との思い出話だった。
そして。
だからこそ。
ミアは少しだけ安心した。
英雄も最初から英雄だったわけではない。
一歩ずつ歩いてきたのだ。
ならば自分も。
いつか。
誰かの役に立てる人間になれるかもしれない。
そんなことを思いながら、ミアは静かに紅茶へ口をつけるのだった。




