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婚約破棄されて捨てられた令嬢ですが、隣国の冷徹皇帝陛下がなぜか私を離してくれません!?  作者: Atelier Lotus


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第41話 大聖女ミュゲ・ジプソフィル

 司祭が扉の前で立ち止まる。


「大聖女様」


「ヴァイスラント帝国皇帝エルンスト陛下がお見えになりました」


 静かな声が響く。


 しばしの沈黙。


 やがて――


「どうぞ」


 穏やかな女性の声が聞こえた。


 司祭が扉を開く。


 ミアは思わず息を呑む。


 部屋は決して豪華ではなかった。


 本棚。


 机。


 応接用の長椅子。


 窓から差し込む柔らかな陽光。


 むしろ質素と言っていい。


 そして――


 一人の女性が椅子に腰掛けていた。


 ミアは言葉を失う。


 その女性は六十三歳だった。


 白銀の髪には歳月を感じさせる白髪が混じっている。


 目元には小さな皺。


 若さこそない。


 だが。


 不思議だった。


 目を離せない。


 穏やかな笑顔。


 優しい眼差し。


 その場にいるだけで空気が柔らかくなるような安心感。


 そして何より。


 言葉では表現できない神々しさがあった。


 まるで長い年月をかけて磨き上げられた宝石のようだった。


『えっ……』


 リリが呟く。


『この人が……』


 アルも言葉を失う。


 世界を救った英雄。


 魔王を討伐した大聖女。


 もっと近寄りがたい存在を想像していた。


 だが目の前にいるのは。


 どこか優しい祖母のような女性だった。


「ようこそお越しくださいました」


 女性は微笑む。


「ヴァイスラント帝国皇帝エルンスト陛下」


 エルンストが一歩前へ出る。


 そして片膝をついた。


「お久しぶりです」


 ミアは目を丸くした。


 皇帝であるエルンストが頭を下げている。


 それほどの相手なのだ。


 ミュゲは優しく目を細めた。


「本当にお久しぶりですね」


「即位のご報告に来てくださった時以来でしょうか」


「はい」


 エルンストは静かに頷いた。


「五年前になります」


 ミアは驚く。


 そういえばエルンストは十六歳で皇帝になった。


 つまり即位直後にも、この場所を訪れていたのだ。


「まだ少年でしたね」


 ミュゲが懐かしそうに言う。


「随分と緊張していました」


 エルンストは少しだけ視線を逸らした。


「今も緊張しています」


 その返答にミュゲはくすりと笑う。


「立派になりましたね」


 その言葉は祖母が孫を見るように温かかった。


 その様子を見ていたクロエが笑う。


「相変わらずじゃのう」


 ミュゲの目が細められる。


「クロエも元気そうですね」


「誰かさんと違って、まだ若いからのう」


 クロエは胸を張った。


 ミュゲは思わず苦笑する。


「相変わらずですね」


「三十年前から全然変わりません」


「そんなことありませんよ」


 二人のやり取りは気安かった。


 まるで長年の友人同士のようだった。


 ミアは驚く。


 その時だった。


 ミュゲの視線がミアへ向けられた。


 優しい。


 本当に優しい眼差しだった。


「初めまして」


 ミュゲは微笑む。


「あなたがミアさんですね」


 ミアの心臓が跳ねた。


「は、はい!」


 慌てて頭を下げる。


「ミア・ランベルトと申します!」


 緊張で声が少し裏返る。


『落ち着け』


『落ち着いて!』


 妖精たちも慌てていた。


 ミュゲは小さく笑った。


 その笑顔はどこまでも柔らかい。


「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」


「ですが……」


「私もただのおばあちゃんですから」


 ミアは思わず固まった。


 ただのおばあちゃん。


 世界を救った英雄がそんなことを言うだろうか。


『絶対違う』


『絶対違うな』


 アルとリリが同時に呟く。


 ミアも同意見だった。


 部屋の壁には歴史画が飾られている。


 若き日のミュゲ。


 魔王との戦い。


 人々の歓声。


 その全てが伝説だった。


 だが。


 当の本人はどこまでも穏やかだった。


「さて」


 ミュゲは微笑む。


「まずは座りましょうか」


 その一言だけで。


 ミアの緊張は少しだけ和らいだ。


 目の前にいるのは伝説の英雄だ。


 それでも。


 どこか温かくて。


 優しくて。


 人を安心させる不思議な女性だった。


 ミアは改めて思う。


 なるほど。


 だから人々は今もなお、この人を慕うのだと。


 伝説の大聖女。


 ミュゲ・ジプソフィル。


 その出会いは、ミアが想像していたものとは少し違っていた。


 けれど――


 ずっと温かかった。

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