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婚約破棄されて捨てられた令嬢ですが、隣国の冷徹皇帝陛下がなぜか私を離してくれません!?  作者: Atelier Lotus


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第38話 馬車の中で

 ナルシス王国への旅が始まった。


 帝都シュヴァルツブルクを出発した一行は、街道を南へ進んでいる。


 護衛騎士たちを伴う正式な外交使節団ではあるが、道中は比較的穏やかだった。


 ミアたちは専用の大型馬車に乗っている。


 窓の外には雪景色が流れていた。


『旅だー!』


『旅だな!』


 リリとアルは窓の近くを飛び回っている。


『あっ! 鹿!』


『本当だ!』


『でかいな!』


『食べられるかな!』


『やめなさい』


 ミアは思わず苦笑した。


 そんな穏やかな時間だった。


 問題は――


 馬車の中にいるもう一人だった。


「そう言えばのう」


 クロエが口を開く。


 嫌な予感がした。


 なぜかエルンストも眉をひそめている。


「エルンストは子供の頃、泣き虫じゃった」


「クロエ」


 即座に低い声が飛ぶ。


 だが遅かった。


 ミアは思わず目を瞬かせる。


「え?」


 泣き虫?


 あの冷徹皇帝が?


「本当ですか?」


「本当じゃ」


 クロエは嬉しそうに頷く。


「七歳くらいの頃じゃったかのう」


「剣の稽古で転んでな」


「膝を擦りむいて大泣きしたんじゃ」


「クロエ」


「可愛かったのう」


「クロエ」


 エルンストの声がさらに低くなる。


 しかしクロエはまったく気にしていない。


『泣いたのか』


『泣いたんだな』


 アルが真顔で言う。


『想像できない』


『全然できない』


 リリも頷いた。


 ミアも同意見だった。


 今のエルンストからは想像もつかない。


「ですが、それは普通では……?」


 ミアが首を傾げる。


 七歳の子供なら泣いても不思議ではない。


「いやいや」


 クロエは笑う。


「面白いのはその後じゃ」


 エルンストが頭を抱えた。


「やめろ」


「やめん」


 即答だった。


「エルンストはのう」


「泣きながら剣を振り続けたんじゃ」


 ミアは驚く。


「え?」


「悔しかったらしい」


 クロエは懐かしそうに笑う。


「涙をぼろぼろ流しながら素振りを続けておった」


「誰よりも長くな」


 ミアは少しだけ目を丸くした。


 それは確かにエルンストらしい。


 泣いて終わるのではなく、


 悔しさを努力へと変える。


 今の彼に繋がる話だった。


『なんか想像できる』


『それはできるな』


 妖精たちも納得している。


「他にもあるぞ」


「やめろ」


「十歳の頃――」


「やめろ」


「夜中まで勉強して倒れた」


 ミアは吹き出しそうになった。


「本当ですか?」


「本当じゃ」


 クロエは大きく頷く。


「熱を出して三日寝込んだ」


「……」


 エルンストは無言だった。


 否定しない。


 つまり本当なのだろう。


「陛下らしいですね」


 ミアが言う。


 するとエルンストは微妙な顔をした。


「そうか?」


「はい」


 ミアは頷く。


「今でも無理をなさいますし」


「否定できんな」


 クロエが笑う。


「昔からそうじゃ」


 エルンストは深いため息を吐いた。


『意外だな』


『でもちょっと親近感ある』


 リリが言う。


『完璧超人じゃなかったんだ』


『人間だな』


 アルも頷いた。


 ミアも同じことを思っていた。


 皇帝。


 白竜皇に選ばれた英雄。


 冷徹皇帝。


 そう呼ばれる人。


 けれど――


 彼もまた、転んで泣く子供だったのだ。


 そう思うと、少しだけ距離が縮まった気がした。


 馬車は揺れながら街道を進む。


 窓の外には白い雪景色。


 馬車の中には笑い声。


 外交の旅ではある。


 けれど今はまだ、その始まりだった。


 ナルシス王国への道は続いている。


 そしてミアはまだ知らない。


 この旅の先で、伝説の大聖女と出会うことになるのを。

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