第1話 妖精の見える少女
ローズフィールド王国。
王都から馬車で半日ほど離れた場所に、ランベルト伯爵家の領地があった。
豊かな自然に恵まれた、美しい土地である。
春になれば花々が咲き誇り、夏には青々とした森が広がる。
そんな領地の伯爵邸で、一人の少女が生まれた。
ミア・ランベルト。
ランベルト伯爵家の長女である。
父はエドワード・ランベルト伯爵、母はクラリス・ランベルト。
彼女には、誰にも言えない秘密があった。
妖精が見えるのだ。
それは物心ついた頃から当たり前のことで、ミア自身は特別だと思ったこともなかった。
春には花畑の上を舞う妖精たちがいた。
夏には風に乗って遊ぶ妖精たちがいた。
秋には木の実を運ぶ妖精たちがいた。
冬には雪の結晶のような妖精たちがいた。
だから幼いミアは、それが特別なことだとは思っていなかった。
皆にも見えているものだと思っていたのである。
五歳のある日。
庭園で遊んでいたミアは、嬉しそうに母のもとへ駆け寄った。
「お母様! 見てください!」
花壇の上を指差す。
「妖精さんがいるの!」
そこには小さな妖精がいた。
緑色の髪。
透き通る羽。
花びらほどの小さな身体。
妖精は楽しそうにミアへ手を振っていた。
だが母は、困ったように微笑む。
「ミア、そこには何もいないわ」
「え?」
ミアは目を瞬かせた。
何もいない?
そんなはずはない。
だって、そこにいるのだから。
「ほら! あそこ!」
「見えないのよ」
母は優しく言った。
けれど、その顔には戸惑いが浮かんでいた。
それが始まりだった。
父も。
家庭教師も。
使用人たちも。
誰一人として妖精を見ることができなかった。
何度話しても返ってくる反応は同じだった。
「そんなものはいない」
と。
やがてミアは理解する。
見えているのは自分だけなのだと。
その事実は、幼い少女の心を少しずつ傷つけた。
それでも妖精たちは消えなかった。
朝になれば窓辺に現れる。
散歩をすれば肩に乗る。
本を読めば一緒に覗き込んでくる。
ミアにとって、彼らは大切な友達だった。
だが、人間たちは違った。
王都で開かれる子供向けの茶会。
貴族子女たちとの交流会。
ミアはそこで何度も妖精の話をした。
信じてもらえると思ったからだ。
だが、結果は逆だった。
「また妖精の話?」
「変な子ね」
「空想ばかりしているのね」
子供たちは笑った。
距離を置いた。
友達はできなかった。
ミアは少しずつ口数が減っていった。
そして七歳になった頃。
運命の出会いが訪れる。
『ねぇねぇ!』
元気いっぱいな声が響いた。
庭園で一人、本を読んでいたミアは顔を上げる。
そこには、見たことのない妖精がいた。
風色の髪。
透き通る羽。
太陽のような笑顔。
『あなた、私が見えるの!?』
「見えるよ?」
『ほんと!?』
妖精は目を輝かせた。
『すごい! 本当に見えてる!』
くるくると空を飛び回る。
まるで喜びを全身で表現しているようだった。
『私はリリ・フェン・ルゥ!』
妖精は胸を張る。
『シルフだよ!』
「シルフ?」
『うん! 風を司る妖精!』
リリが手を振る。
すると優しい風が吹き抜けた。
花びらが舞い上がる。
陽の光を受けて、きらきらと輝いた。
「すごい……」
ミアは思わず目を輝かせた。
『でしょ!?』
リリは得意げだった。
その時だった。
『……うるさいな』
不機嫌そうな声が聞こえた。
木の枝の上。
そこに一人の少年が座っていた。
燃えるような赤髪。
金色の瞳。
腕を組みながら、こちらを見下ろしている。
『そんなにはしゃぐことかよ』
『だって人間に見えるんだよ!?』
『珍しいだけだろ』
少年は肩をすくめた。
そしてミアを見る。
『本当に見えてるのか?』
「見えてるよ?」
『ふーん』
少年は興味なさそうに鼻を鳴らした。
『アル・フィア・ルナ』
『サラマンダーだ』
「サラマンダー?」
『火を司る妖精だ』
短く答える。
愛想はなかった。
だが、どこか悪い妖精には見えなかった。
『アルは優しいんだよ!』
『余計なこと言うな』
『照れてるー!』
『違う』
言い合いを始める二人。
その様子がおかしくて、ミアは思わず吹き出した。
久しぶりだった。
心から笑ったのは。
リリとアルは顔を見合わせる。
そして満足そうに笑った。
『やっと笑った』
『最初からそうしていればいいのに』
ミアは首を傾げる。
「え?」
『だって最近、ずっと寂しそうだったから』
リリが言う。
『みんな信じてくれないんだろ?』
アルが続けた。
ミアは俯く。
胸が少し痛んだ。
「……うん」
誰も信じてくれない。
誰も分かってくれない。
だから仕方ないのだと、自分に言い聞かせていた。
するとアルがぽつりと言った。
『馬鹿だな』
「え?」
『見えるものが違うだけだろ』
『ミアが悪いわけじゃない』
ぶっきらぼうな言葉だった。
けれど。
その言葉は誰よりも温かかった。
ミアの胸の奥に、そっと灯がともる。
リリも大きく頷いた。
『そうだよ!』
『私たちはミアのことが大好きだもん!』
その言葉に、ミアは少しだけ涙ぐんだ。
寂しさが消えたわけではない。
けれど、一人ではないと思えた。
人間の友達はいない。
でも妖精の友達はいる。
だから大丈夫。
まだ、この時のミアはそう思っていた。
知らなかったのである。
この先、自分がさらに深い孤独を知ることを。
そして、いつの日か。
妖精を信じてくれる人々と出会うことを。
自分を必要としてくれる人と出会うことを。
運命の出会いは、まだ少し先の話だった。




