第36話 雪の中で
祝賀会が終わったのは、夜も更けた頃だった。
皇宮の中は、まだ祝いの熱気に包まれている。
廊下を行き交う使用人たち。
宴の余韻を語り合う貴族たち。
どこへ行っても、明るく華やかな空気に満ちていた。
だが――
ミアは少しだけ、一人になりたかった。
誰にも告げず、そっと皇宮の庭園へ足を運ぶ。
夜の空気は冷たい。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
空からは雪が降っている。
白く。
静かに。
まるで世界を優しく包み込むように。
ミアは雪景色を見つめながら、小さく息を吐いた。
不思議な気分だった。
ほんの数か月前まで、自分は故郷で居場所を失っていた。
婚約者を奪われ。
家族に見捨てられ。
遠い異国へ送り出された。
あの頃は未来など何ひとつ見えなかった。
『あの時はひどい顔をしていたからな』
アルが呟く。
『うん……』
リリも頷いた。
『毎日泣きそうだった』
ミアは苦笑する。
「そんなことないわ」
『あった』
『あったね』
二人の声が重なった。
思わず笑ってしまう。
けれど――
今は違う。
白竜皇オルドに認められた。
婚約も成立した。
多くの人々が祝福してくれている。
信じられないことばかりだった。
「本当に不思議……」
ぽつりと呟く。
「何がだ」
背後から声がした。
ミアは振り返る。
そこに立っていたのは、エルンストだった。
銀色の髪。
青い瞳。
いつも通りの無表情。
けれど今では、その姿を見るだけで少し安心できる。
「陛下」
「一人か」
「はい」
『嘘だな』
『私たちがいるもんね』
リリが胸を張る。
ミアは思わず吹き出しそうになった。
エルンストは不思議そうに首を傾げる。
「どうした」
「い、いえ」
慌てて首を振る。
エルンストはそれ以上追及しなかった。
ミアの隣まで歩いてくる。
そして自然に足を止めた。
二人で雪景色を眺める。
しばらく誰も口を開かない。
けれど気まずくはなかった。
不思議と心地よい沈黙だった。
やがてミアが口を開く。
「今日、街の方々のお話を聞きました」
「そうか」
「皆さん、とても喜んでおられました」
エルンストは黙って耳を傾ける。
「婚約のことを」
「そうか」
短い返事だった。
けれど、その声はどこか柔らかい。
ミアは少しだけ笑った。
「陛下はどう思われますか?」
エルンストは少し考えるように空を見上げた。
雪が静かに降っている。
しばらくして――
「安心した」
静かな声だった。
ミアは少し驚く。
エルンストが自分の感情を口にすることは珍しい。
「安心……ですか?」
「ああ」
エルンストは頷いた。
「お前が認められて良かった」
ミアは目を見開いた。
一瞬、言葉が出てこなかった。
自分が認められて良かった。
そう言われたのだ。
皇妃候補としてではなく。
政略結婚の相手としてでもなく。
ミア・ランベルトという一人の人間として。
胸の奥がじんわりと熱くなる。
『良かったな』
アルが静かに言う。
『うん』
リリも微笑んだ。
「ありがとうございます」
自然とその言葉がこぼれた。
エルンストは小さく頷く。
再び沈黙が訪れる。
雪は変わらず降り続いていた。
「ミア」
不意にエルンストが呼ぶ。
「はい」
「無理はするな」
ミアは思わず苦笑した。
また、その言葉だった。
けれど嫌ではない。
むしろ安心する。
「はい」
素直に頷く。
エルンストも静かに頷いた。
それだけだった。
特別な言葉はない。
甘い囁きもない。
けれど――
ミアは思う。
この人となら。
少しずつ前を向いて歩いていけるかもしれない。
焦らなくてもいい。
急がなくてもいい。
一歩ずつ。
ゆっくりと。
信頼を積み重ねていけばいい。
『最初は怖がっていたのにな』
『すっごく怖がってたよね』
『冷徹皇帝だからな』
『噂を信じていたもんね』
「二人とも」
ミアは小さく抗議する。
だが、その顔には笑みが浮かんでいた。
空を見上げる。
雪は静かに降り続いていた。
白く染まった世界の中で。
ミアはそっと微笑む。
未来はまだ分からない。
けれど――
きっと悪くない。
『大丈夫』
リリが言った。
『お前なら大丈夫だ』
アルも続く。
幼い頃からずっと傍にいてくれた二人。
誰も信じてくれなかった時も。
傷ついた時も。
泣いた時も。
ずっと一緒だった。
だから。
もう一人じゃない。
ミアは静かに目を閉じた。
こうしてミア・ランベルトは白竜皇に認められ、
エルンスト・ヴァイスラントとの婚約を正式に結んだ。
そして――
二人の新たな物語が、静かに始まろうとしていた。




