第31話 皇妃選定
謁見の間には静寂が満ちていた。
白竜皇オルドは玉座に腰掛けたまま、何も語らない。
ミアもまた口を閉ざしていた。
先ほどまでの問答が終わり、広大な空間には沈黙だけが残されている。
長い。
とても長く感じた。
実際には数十秒だったのかもしれない。
だがミアには永遠にも思えた。
心臓がうるさいほど鳴っている。
手のひらには汗が滲んでいた。
失敗しただろうか。
何か間違えただろうか。
選定に落ちたのだろうか。
不安ばかりが頭を巡る。
しかし。
オルドの表情からは何も読み取れない。
黄金の瞳は静かだった。
まるで千年の時を見つめ続けてきた湖面のように。
やがて。
オルドがゆっくりと口を開く。
「ミア・ランベルト」
「は、はい」
思わず背筋が伸びる。
オルドは静かに言った。
「顔を上げなさい」
ミアは恐る恐る顔を上げた。
黄金の瞳と視線が交わる。
その視線には威圧も怒りもなかった。
ただ静かな確信があった。
オルドは小さく頷く。
「資格あり」
その一言だった。
ミアは目を瞬かせる。
「……え?」
理解が追い付かない。
資格。
あり。
それはつまり。
「竜皇陛下……?」
震える声で問い返す。
オルドは穏やかに続けた。
「ミア・ランベルト」
「お前を正式な皇妃候補として認める」
世界が止まったような気がした。
認める。
今、確かにそう言った。
ミアは言葉を失う。
信じられなかった。
本当に。
信じられなかった。
「私を……?」
「そうだ」
オルドは静かに頷く。
「お前には資格がある」
その言葉には一切の迷いがなかった。
絶対的な存在による承認。
誰にも覆せない評価。
ミアの胸が熱くなる。
思い返す。
妖精が見えることで理解されなかった幼少期。
顔に残った火傷。
婚約者を失った日。
家族に見捨てられた日。
ずっと否定され続けてきた人生だった。
そんな自分が。
今。
認められている。
涙が滲む。
「どうして……」
思わず言葉が零れた。
「なぜ私なのですか」
オルドは静かにミアを見つめる。
「歴代にはもっと優秀な方もいたはずです」
「もっと立派な家柄の方も」
「もっと皇妃に相応しい方も」
ミアは俯いた。
「私はただの伯爵令嬢です」
「それなのに、なぜ私なのですか」
しばらく沈黙が続く。
やがてオルドは小さく微笑んだ。
「だからだ」
ミアは顔を上げる。
黄金の瞳が真っ直ぐこちらを見ていた。
「お前は地位を誇らぬ」
「才能を誇らぬ」
「他者を見下さぬ」
穏やかな声が響く。
「そして傷付きながらも、なお他者を思い遣る」
ミアは息を呑んだ。
オルドは続ける。
「お前には他者を思い遣る心がある」
「それは才能ではない」
「力でもない」
「長い人生の中で最も失われやすく、最も尊いものだ」
静かな言葉が謁見の間に響く。
「人は傷付けば心を閉ざす」
「裏切られれば憎む」
「見捨てられれば恨む」
「それは当然のことだ」
オルドはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「だが、お前は違った」
「お前は傷付いた」
「何度も傷付いた」
「それでもなお、人を思い遣ることをやめなかった」
黄金の瞳が優しく細められる。
「それこそがお前の強さだ」
ミアの瞳から涙が零れ落ちる。
初めてだった。
ありのままの自分を認められたのは。
誰かの期待に応えたからではない。
何かを成し遂げたからでもない。
ただ。
ミア・ランベルトという人間そのものを肯定された。
「ありがとう……ございます」
震える声でそう言うのが精一杯だった。
オルドは静かに頷く。
そして。
ゆっくりと立ち上がった。
その瞬間。
空気が変わる。
まるで山そのものが動いたかのような圧倒的な存在感が謁見の間を満たした。
「これをもって選定を終える」
静かな宣言だった。
だが、その声は世界そのものに響くようだった。
「ミア・ランベルト」
「お前とエルンスト・ヴァイスラントの婚約を認める」
それは白竜皇による正式な承認。
歴代でも極めて稀な。
誰にも覆すことのできない絶対の宣言だった。
こうしてミア・ランベルトは、白竜皇自らに認められた正式な皇妃候補となった。
その事実は、やがて帝国中を揺るがすことになる。
だが今はまだ。
ミアはただ、頬を伝う涙を拭うことも忘れ、胸いっぱいに広がる温かな想いを噛み締めていた。




