第30話 対話
謁見の間には静寂が満ちていた。
白竜皇オルドは玉座に座ったまま、静かにミアを見つめている。
黄金の瞳。
その視線からは逃れられない。
まるで心の奥底まで見透かされているようだった。
ミアは俯いたまま拳を握りしめる。
先ほど見せられた記憶。
幼い頃の孤独。
火傷に焼かれた痛み。
婚約破棄を告げられた日の絶望。
どれも思い出したくないものばかりだった。
だが――
オルドは責めなかった。
哀れみもしなかった。
ただ静かに見つめていた。
ありのままの彼女を。
「ミア・ランベルト」
穏やかな声が響く。
「はい」
ミアは小さく返事をした。
オルドは静かに問いかける。
「一つ聞こう」
「……はい」
黄金の瞳が真っ直ぐミアを見据える。
「なぜ、お前は妹を恨まぬ」
ミアは息を呑んだ。
エミリー。
妹の顔が脳裏に浮かぶ。
自分の婚約者を奪った妹。
自分の立場を奪った妹。
家族の愛情を一身に受けていた妹。
恨んでもおかしくない。
憎んでも当然だ。
多くの人間ならそうするだろう。
だが。
ミアは静かに首を横へ振った。
「恨んでいません」
「なぜだ」
オルドは続ける。
「お前は全てを奪われた」
「家族も」
「婚約者も」
「居場所も」
「それでも恨まぬのか」
ミアは少し考えた。
答えはすぐには出てこない。
けれど。
胸の奥には昔から変わらない想いがあった。
「……分からないんです」
ぽつりと呟く。
「でも」
ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「私は昔からそうなんです」
オルドは黙って耳を傾けていた。
「エミリーは悪い子じゃありません」
ミアはそう言った。
「わがままなところもあります」
「困らせられることもあります」
「でも……」
幼い頃の記憶が浮かぶ。
一緒に遊んだ日々。
笑い合った日々。
手を繋いで歩いた日々。
「大切な妹だったんです」
オルドは何も言わない。
ただ静かに聞いている。
「だから」
ミアは小さく笑った。
どこか寂しげな笑みだった。
「憎めないんです」
静寂が落ちる。
しばらくして。
オルドは再び問いかけた。
「では、なぜ人を憎まぬ」
ミアは顔を上げる。
「父も母もお前を見捨てた」
「婚約者も裏切った」
「王家もお前を切り捨てた」
黄金の瞳は揺るがない。
「なぜ、人を憎まぬ」
その問いは重かった。
ミア自身、何度も考えたことだった。
どうしてだろう。
なぜ憎まないのだろう。
なぜ復讐したいと思わないのだろう。
そして。
ミアは胸の奥にある答えを口にした。
「幸せになれないからです」
オルドの眉がわずかに動く。
ミアは続けた。
「誰かを憎んでも」
「誰かを恨んでも」
「私は幸せになれません」
静かな声だった。
けれど、その言葉に迷いはなかった。
「恨み続ければ」
「ずっと苦しいままです」
「ずっと辛いままです」
ミアは自分の胸に手を当てた。
「だったら」
「前を向いていたいんです」
オルドは黙っている。
ミアも言葉を続けた。
「もちろん悲しかったです」
「苦しかったです」
「何度も泣きました」
火傷を負った日も。
婚約破棄を告げられた日も。
帝国へ送られることが決まった日も。
たくさん泣いた。
たくさん傷付いた。
「でも」
ミアは小さく微笑んだ。
「それでも私は幸せになりたいんです」
その言葉が。
広い謁見の間に静かに響いた。
長い沈黙が訪れる。
オルドは何も言わない。
ただ静かにミアを見つめていた。
やがて。
白竜皇は小さく笑った。
本当にわずかな笑みだった。
けれど確かに笑った。
「なるほど」
穏やかな声だった。
「だからエルンストが気に入ったのか」
「え?」
思いがけない言葉にミアは目を瞬かせる。
だがオルドは答えない。
ただ静かに玉座へ身を預ける。
黄金の瞳には、どこか満足げな色が宿っていた。




