第20話 優しさの意味
火傷が消えてから数日が経った。
それでもミアは鏡を見るたびに驚いていた。
朝。
身支度の時。
ふと窓ガラスに映った時。
水面を覗いた時。
その度に足を止めてしまう。
傷がない。
十年以上見続けてきた火傷跡がない。
未だに信じられなかった。
『また見てる』
リリがくすくすと笑う。
「だって……」
『仕方ないだろ』
アルも呆れたように肩を竦めた。
『俺でも毎日確認すると思うぞ』
ミアは鏡の中の自分を見つめる。
傷のない顔。
かつて失ったと思っていた自分自身。
いや。
それ以上かもしれない。
少なくとも今のミアにはそう思えた。
嬉しかった。
夢のようだった。
だからこそ。
一つの疑問が胸から離れなかった。
どうして。
どうしてエルンストは治してくれたのだろう。
その日の午後。
ミアは皇宮の庭園を歩いていた。
雪は止み、空には淡い青が広がっている。
冬の日差しは弱い。
だが穏やかだった。
前方に見慣れた銀髪を見つける。
エルンストだった。
一人で雪景色を眺めている。
ミアは少し迷った。
だが。
聞かなければならない気がした。
「陛下」
エルンストが振り返る。
「ミアか」
短い返事。
いつも通りだった。
ミアは深呼吸する。
「お時間よろしいでしょうか」
「ああ」
エルンストは頷いた。
二人は並んで歩き始める。
しばらく沈黙が続く。
やがて。
ミアは意を決した。
「一つ、お聞きしたいことがあります」
「何だ」
ミアは足を止めた。
そして真っ直ぐエルンストを見る。
「なぜ治してくださったのですか?」
エルンストは瞬きをした。
まるで質問の意味が分からないようだった。
ミアは続ける。
「治療には多くの魔力が必要だったはずです」
「私なんかのために」
言葉が震える。
「どうしてそこまでしてくださったのですか」
エルンストはしばらく黙っていた。
考えているようだった。
だが。
やがて返ってきた言葉はあまりにも簡潔だった。
「困っていたからだ」
ミアは固まる。
「……え?」
「困っていた」
エルンストは繰り返す。
「だから治した」
それだけだった。
本当にそれだけだった。
ミアは言葉を失う。
もっと何かあると思っていた。
政略的な理由。
皇妃候補だから。
帝国のため。
見栄えのため。
何かしらの事情が。
だが。
エルンストの答えは違った。
ただ困っていたから。
それだけ。
「それだけ……ですか?」
「ああ」
エルンストは首を傾げる。
「他に理由が必要か?」
必要だった。
少なくともミアの人生では。
優しさには理由があった。
期待があった。
打算があった。
見返りがあった。
だから。
理由のない優しさなんて知らない。
エルンストは静かに言う。
「傷は苦しかったのだろう」
ミアは息を呑む。
「なら治したかった」
それだけだった。
見返りもない。
打算もない。
誇る気もない。
当たり前のことを話しているような口調だった。
ミアは胸の奥が熱くなるのを感じた。
どうしてだろう。
涙が出そうだった。
婚約者だったヘンリーも。
両親も。
誰もそんなことは言わなかった。
誰も手を差し伸べなかった。
だが。
目の前の青年は違う。
何も求めない。
何も奪わない。
ただ助けてくれる。
「変な人です」
気付けばそんな言葉が口から出ていた。
エルンストは少しだけ眉をひそめる。
「そうか?」
「そうです」
ミアは小さく笑った。
「とても変です」
エルンストは納得していないようだった。
だがミアには分かっていた。
この人は変だ。
優しすぎる。
だから冷徹皇帝なんて呼ばれているのかもしれない。
ミアは空を見上げる。
白い雲がゆっくり流れていた。
胸の奥が温かい。
それは火傷が治った喜びとは少し違う。
もっと穏やかで。
もっと優しい感情だった。
そしてミアは初めて知る。
無条件の優しさというものを。
それは傷を癒す魔法よりもずっと温かく。
ずっと尊いものだったのである。




