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第19話 奇跡

 翌日。


 ミアは皇宮の一室を訪れていた。


 窓から差し込む柔らかな陽光が、静かな部屋を照らしている。


 室内にはエルンストの姿があった。


 他には誰もいない。


 張り詰めたような静寂が漂っていた。


 ミアはわずかに緊張していた。


 本当に治療を受けるのだ。


 だが、不思議と期待はしていなかった。


 期待しない。


 そう決めている。


 期待して傷つくのは、もう嫌だった。


「始める」


 エルンストが短く告げる。


「はい」


 ミアは静かに頷いた。


 椅子に腰を下ろす。


 エルンストが目の前に立った。


 青い瞳が真っ直ぐミアを見つめる。


「少し熱を感じるかもしれない」


「分かりました」


 エルンストは右手を差し出した。


 次の瞬間。


 淡い光が生まれる。


 静かで穏やかな光だった。


 眩しさはない。


 どこか優しさを感じさせる光だった。


 ミアは目を見開く。


 膨大な魔力。


 それなのに恐ろしさは感じない。


 まるで雪解けを迎えた春の日差しのような温かさだった。


 光はゆっくりとミアの頬を包み込む。


 温かい。


 本当に温かい。


 傷跡の周囲がじんわりと熱を帯びる。


 だが痛みはない。


 不思議な感覚だった。


 時間にして数分。


 それだけだった。


 やがて光が消える。


 部屋に静寂が戻った。


 エルンストは一歩下がる。


「終わった」


 あまりにもあっさりとした言葉だった。


 ミアは思わず瞬きを繰り返す。


「え……?」


「鏡を見るといい」


 そう言ってエルンストは鏡を差し出した。


 ミアの心臓が大きく跳ねる。


 見るのが怖かった。


 もし変わっていなかったら。


 もしまた失望することになったら。


 だが。


 逃げるわけにはいかなかった。


 ミアは震える手で鏡を受け取る。


 そして。


 ゆっくりと顔を映した。


「――え」


 言葉が出なかった。


 そこに映っていたのは。


 見慣れた自分の顔だった。


 だが違う。


 決定的に違う。


 傷跡がない。


 火傷の痕がない。


 十年以上。


 ずっと残り続けていた傷が。


 消えていた。


 綺麗な肌だった。


 何事もなかったかのように。


 最初から存在しなかったかのように。


 傷は消えていた。


「うそ……」


 鏡を持つ手が震える。


「そんな……」


 信じられない。


 何度も見た。


 横からも。


 近くからも。


 何度も何度も確かめる。


 だが結果は同じだった。


 傷はない。


 本当にない。


「どうして……」


 声が震える。


 視界が滲む。


 気付けば涙が溢れていた。


 一粒。


 また一粒。


 止まらない。


 止められない。


 十年以上だった。


 ずっと。


 ずっと苦しかった。


 鏡を見るたびに思い出した。


 周囲の視線が怖かった。


 婚約者を失った。


 家族との距離も変わった。


 全ての始まりだった傷。


 その傷が。


 今。


 消えている。


「本当に……?」


 ミアは泣きながら呟く。


「本当に……治ったの……?」


 エルンストは静かに頷いた。


「ああ」


 たったそれだけ。


 だが、その言葉で現実なのだと分かる。


 ミアは顔を覆った。


 涙が止まらない。


 嬉しかった。


 信じられなかった。


 何より。


 救われた気がした。


 エルンストは何も言わない。


 慰めない。


 急かさない。


 ただ静かに待っている。


 それがありがたかった。


 どれほど時間が経っただろう。


 ようやく涙が落ち着いた頃。


 ミアは小さく頭を下げた。


「ありがとう……ございます……」


 声はまだ震えていた。


 エルンストは答える。


「礼には及ばない」


 相変わらずだった。


 大したことではないと言わんばかりの口調。


 だが。


 ミアにとっては違う。


 これは奇跡だった。


 人生を変える奇跡だった。


 ミアはもう一度鏡を見る。


 そこには。


 傷に怯える少女ではなく。


 未来を見つめようとする少女が映っていた。


 そして。


 エルンストへの感謝と信頼は、この日、確かに大きなものへと変わり始めていたのである。

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