第18話 治癒魔法
数日後。
ミアは皇宮の図書室を訪れていた。
高い天井まで届く本棚。
暖炉の火。
静かな空間。
ここはミアのお気に入りの場所になりつつあった。
ローズフィールド王国にいた頃も本は好きだった。
だが、今は少し違う。
本を読んでいると余計なことを考えずに済む。
だから落ち着くのだ。
『また難しい本を読んでる』
リリが机の上に降り立つ。
『眠くなる』
『それはお前だけだ』
アルが呆れたように言った。
ミアは小さく笑う。
その時だった。
「何を読んでいる」
聞き慣れた声がした。
ミアは顔を上げる。
「陛下」
そこにはエルンストが立っていた。
最近は驚かなくなった。
いや、少しだけ慣れてきたのかもしれない。
「歴史書です」
「そうか」
エルンストはミアの向かいに腰を下ろした。
しばらく静かな時間が流れる。
不思議なことに気まずくはない。
エルンストは本を開き、ミアも読書に戻る。
ただそれだけだった。
やがて――
エルンストが本を閉じた。
「ミア」
「はい」
「以前の傷の話だが」
ミアの身体がわずかに強張る。
火傷。
顔の傷。
十年以上付き合ってきたもの。
忘れたことは一度もない。
「治療してみるか」
ミアは瞬きをした。
「え?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「治療だ」
エルンストは当然のように言う。
まるで当たり前の提案をしているかのようだった。
だが、ミアは思わず苦笑する。
「無理です」
自然に言葉が出た。
期待する前に否定する。
それはいつの間にか身についた癖だった。
エルンストは否定しない。
ただ続きを待つ。
「今までたくさん試しました」
ミアは静かに語る。
「教会の神官様にも診ていただきましたし、有名な治癒術師にも診てもらいました」
「高価な薬も使いました」
結果は変わらなかった。
傷は残った。
傷跡は消えなかった。
そして周囲の視線だけが変わっていった。
「だから……」
ミアは視線を落とす。
「期待しない方が楽なんです」
期待すると傷つく。
希望を持つと裏切られる。
ミアはそれを知っていた。
「どうせ私なんて……」
ぽつりと呟く。
聞き慣れた言葉。
自分を守るための言葉。
だが――
エルンストは少しだけ眉をひそめた。
「その言葉は好きではない」
ミアは顔を上げる。
予想外だった。
エルンストがはっきりと否定したのだ。
「え……?」
「お前はよく使う」
静かな声だった。
「だが、聞いていて悲しくなる」
ミアは言葉を失う。
胸が少し痛んだ。
今まで誰もそんなことを言わなかった。
エルンストは続ける。
「治る保証はない」
正直な言葉だった。
「私にも分からない」
嘘をつかない。
期待を煽らない。
だからこそ信じられた。
「だが」
青い瞳が真っ直ぐミアを見る。
「試す価値はある」
ミアは息を呑む。
期待してはいけない。
そう思う。
また駄目かもしれない。
きっと駄目だ。
そう思う。
それでも――
胸の奥で小さな灯が揺れる。
希望だった。
ずっと押し込めていた感情だった。
「もし……」
ミアは小さく尋ねる。
「本当に治ったら」
エルンストは答える。
「それは喜ばしいことだ」
あまりにも当たり前のように。
当然のように。
そう言った。
ミアは思わず笑ってしまう。
飾り気のない言葉だった。
けれど、その言葉は不思議と温かかった。
「分かりました」
ミアはゆっくりと頷く。
「お願いします」
エルンストも静かに頷いた。
窓の外では雪が降っている。
白い雪が静かに舞い続けていた。
長い間諦めていたもの。
失ったと思っていたもの。
それをもう一度信じてみようと思えたのは――
きっと、目の前の青年が何も求めずに手を差し伸べてくれたからだった。
そして。
ミアの運命を変える奇跡は、すぐそこまで迫っていたのである。




