第17話 火傷の理由
夕食会から数日後。
ミアは皇宮の庭園を歩いていた。
雪はすでに止み、白銀の世界には柔らかな陽光が降り注いでいる。
吐く息は白い。
それでも、不思議と身を刺すような寒さは感じなかった。
『平和だな』
アルが空を見上げる。
『眠くなるねぇ』
リリはふわふわと宙を舞っている。
ミアは小さく笑った。
帝国へ来る前は、不安しかなかった。
けれど今は違う。
エルンスト。
クラウス。
クロエ。
そしてクラリッサ。
まだ完全に馴染めたわけではない。
それでも少しずつ、この国のことを知り始めていた。
その時だった。
「ミア」
後ろから声がかかる。
振り返ると、そこにはエルンストが立っていた。
「陛下」
ミアは慌てて一礼する。
「散歩か」
「はい」
「そうか」
そこで会話は途切れた。
いかにもエルンストらしい。
ミアは少しだけ困ったように微笑む。
だが、エルンストは立ち去ろうとはしなかった。
自然と隣に並び、二人で庭園を歩く形になる。
沈黙が続く。
気まずいわけではない。
ただ、何を話せばいいのか分からない。
そんな静かな時間だった。
不意にエルンストが口を開く。
「その傷は」
ミアは足を止めた。
視線の先には、自分の首筋に残る火傷跡がある。
顔の大部分は髪で隠している。
だが首元には、わずかに傷跡が残っていた。
エルンストはそれを見ていた。
「昔の怪我か」
責めるような口調ではない。
興味本位でもない。
ただ事実を確認するような声音だった。
ミアは少し迷う。
だが――。
なぜだろう。
この人になら話してもいい気がした。
「幼い頃の事故です」
エルンストは黙って耳を傾けている。
だからミアも続けた。
「妹を庇ったんです」
あの日のことを思い出す。
庭園。
悲鳴。
炎。
幼いエミリー。
「火傷を負ったのは私だけでした」
エルンストは何も言わない。
ただ歩調を合わせている。
「最初は気にしていませんでした」
ミアは苦笑した。
「妹が無事だったから」
本心だった。
あの頃は本当にそう思っていた。
だが。
「少しずつ変わりました」
声が小さくなる。
「両親も」
「婚約者も」
「皆……」
言葉に詰まる。
胸が痛んだ。
思い出したくない記憶だった。
けれどエルンストは急かさない。
慰めもしない。
ただ静かに待っている。
「気付いたら」
ミアは俯いた。
「妹の方ばかり見ていました」
エミリーは可愛い。
傷もない。
明るい。
愛される。
それに比べて自分は。
火傷のある娘。
妖精の話ばかりする変わり者。
そう思われていた。
「婚約者も妹を選びました」
声が震える。
それでも話した。
「私ではなく」
「エミリーを」
風が吹く。
雪が舞う。
しばらく沈黙が続いた。
やがてエルンストが口を開く。
「そうか」
それだけだった。
同情もない。
憐れみもない。
ただ受け止める。
ミアは少し驚いた。
今まで話した相手は違った。
可哀想だと言う人もいた。
運が悪かったと言う人もいた。
中には傷を見て顔をしかめる人もいた。
だが。
エルンストは違う。
過去を勝手に決めつけない。
慰めの言葉も並べない。
ただ聞いている。
ただ受け止めている。
それが不思議と心地良かった。
ふとミアは我に返る。
気付けば、自分のことばかり話していた。
火傷の話だけではない。
家族のことも。
婚約者のことも。
胸の内に溜め込んでいたものを、つい零してしまっていた。
「……申し訳ありません」
ミアは慌てて頭を下げた。
「陛下にこんな話を聞かせてしまって」
エルンストが視線を向ける。
「なぜ謝る」
「その……火傷の理由をお話しするだけのつもりだったのですが」
ミアは気まずそうに笑った。
「気付いたら自分のことばかり話していました」
「愚痴のようになってしまって……」
エルンストは少しだけ考えるように沈黙した。
そして短く答える。
「構わない」
「え?」
「聞いただけだ」
それはいつもの無愛想な口調だった。
だが、拒絶する響きはない。
ミアの胸から力が抜ける。
「ありがとうございます」
小さく礼を言うと、エルンストはそれ以上その話題には触れなかった。
だからこそ、ミアも救われた気がした。
「陛下は」
ミアは恐る恐る尋ねる。
「私のことを変だと思いませんか?」
エルンストは首を傾げた。
「なぜだ」
「だって……」
ミアは言葉を探す。
「傷もありますし」
「妖精が見えるなんて話もしますし」
「変な人だと思われても仕方ありません」
するとエルンストは、わずかに眉をひそめた。
「そうだろうか」
「え?」
「私にはそうは思えない」
静かな声だった。
当たり前のように言う。
まるで、そんなことを疑問に思う方がおかしいと言わんばかりに。
ミアは言葉を失った。
エルンストは続ける。
「妹を庇った」
「ああ」
「それは誇るべきことだ」
ミアは目を見開いた。
そんな風に言われたことはなかった。
一度も。
誰からも。
だから。
胸の奥が熱くなる。
泣きそうになる。
だがミアは必死に堪えた。
エルンストはそれ以上何も言わなかった。
ただ静かに雪景色を見つめている。
しばらくして、ぽつりと言う。
「それに」
「はい?」
「自分が見えているものだけが、すべてとは限らない」
ミアは瞬きをした。
エルンストは空を見上げたまま続ける。
「見えないから存在しないと決めつける方が、よほど傲慢だ」
「……」
「妖精が見えると言うなら、見えているのだろう」
あまりにも自然な口調だった。
信じるとも疑うとも違う。
ただ可能性を否定しない。
「少なくとも私は、お前が嘘をついているとは思わない」
ミアは息を呑んだ。
妖精の話をすると、多くの人は笑った。
あるいは困った顔をした。
聞き流されることもあった。
だがエルンストは違う。
見えないからといって否定しない。
自分の知らないものがあることを、当然のように受け入れている。
その在り方が、ミアには眩しく思えた。
ミアも空を見上げた。
白い雲。
青い空。
冷たい風。
けれど。
心は少しだけ温かかった。
そしてミアは、まだ知らない。
エルンストが、その傷を消し去る方法を持っていることを。
まだ知らなかったのである。




