SS 第2話 悪意
社交界へ出席するようになってから、しばらくが経った頃。
ミアは少しでも帝国の貴族たちと親しくなろうと、今日も笑顔で婦人たちと言葉を交わしていた。
慣れない話題にも耳を傾け、分からないことは素直に教えを請う。
皇妃として未熟であることは、自分が一番よく分かっていた。
だからこそ、人一倍努力しようと決めていた。
その日も茶会を終え、侍女を探しながら皇宮の廊下を歩いていた。
ふと、談話室の前を通りかかる。
中から聞こえてきた笑い声に、ミアは思わず足を止めた。
「最近の皇妃陛下、ご覧になりました?」
一人の婦人が楽しそうに口を開く。
「ええ。誰もいない場所へ、一人で話しかけておられましたわ」
その言葉に、部屋の中からくすくすと笑い声が広がった。
「妖精が見えるなんて、本気で信じていらっしゃるのでしょう?」
「少し気味が悪いですわね」
「他国の方は、ずいぶん変わった風習をお持ちなのですこと」
ミアは息を呑んだ。
もちろん、リリとアルはそこにいる。
今も自分のすぐ隣で、不安そうな表情を浮かべている。
だが、精霊眼を持たない者には二人の姿は見えない。
傍から見れば、ミアは誰もいない空間へ話しかけているようにしか見えないのだ。
『ひどい……』
リリが悲しそうに呟く。
『何も知らねぇくせに』
アルも悔しそうに拳を握り締めた。
ミアは二人へ小さく微笑み、そっと首を横に振る。
その時だった。
談話室の奥で、イザベラ・フォン・ヴァルデン公爵夫人が静かに紅茶を口へ運ぶ。
そして、穏やかな声で一言だけ口を開いた。
「火の魔法石だけではございませんわ」
「皇妃陛下には、不思議なことが多すぎますもの」
その一言だけで十分だった。
「確かに、その通りですわ」
「火の魔法石も、本当に皇妃陛下がお考えになったのでしょうか」
「どうせ宮廷筆頭魔導士クロエ様のお力でしょう?」
「そうでなければ説明がつきませんもの」
「ええ。突然あれほどの理論を完成させるなど、考えられませんわ」
婦人たちは当然のように頷き合う。
ミアは胸が締め付けられる思いだった。
寒さに苦しむ人々を救いたい。
ただ、その一心でリリやアル、そしてクロエと共に何度も研究を重ねた。
失敗を繰り返し、それでも諦めずに完成させた火の魔法石。
その努力までもが否定されてしまう。
それは、想像以上に辛いことだった。
「それに……」
一人の婦人が扇子で口元を隠す。
「エルンスト皇帝陛下は、皇妃陛下のどこをお気に召したのでしょう」
「ヴァイスラント帝国には、皇妃に相応しい令嬢が大勢おりましたのに」
「それを差し置いて選ばれたのが、隣国から嫁いできた婚約破棄された伯爵令嬢……」
婦人たちは小さく笑い合う。
イザベラは何も言わなかった。
否定もしない。
止めもしない。
ただ静かに紅茶を飲み続けていた。
ミアは静かに踵を返す。
誰にも気付かれないように。
誰にも涙を見せないように。
長い廊下を、一人歩いていく。
窓の外には、雲一つない青空が広がっていた。
それなのに、ミアの心だけは厚い雲に覆われたようだった。
『ミア……』
リリが心配そうに見上げる。
『あんな奴ら、俺が懲らしめてやる』
アルも怒りを抑え切れず拳を震わせた。
ミアは二人へ優しく微笑む。
「ありがとう」
「でも……私は皇妃だから」
その笑顔は、いつものように穏やかだった。
けれど、その瞳には今にも零れ落ちそうな涙が浮かんでいた。
誰にも弱音は吐かない。
誰にも悲しい顔は見せない。
そう決めていたミアだったが、その胸に刻まれた傷は、静かに、そして確かに深くなっていくのだった。




