第196話 崩壊
帝国最高裁判所。
暖房器具事件、最終公判。
法廷は、水を打ったような静寂に包まれていた。
先ほどまでの騒然とした空気は消え、重苦しい緊張だけが場を支配している。
被告席では、レオンハルトが俯いたまま微動だにしなかった。
長年仕えてきた主君。
信じ続けてきた宰相グレゴール。
その人物から、ためらうことなく切り捨てられたのである。
やがてレオンハルトは、小さく息を吐いた。
「……もう、終わりです」
静かな声が法廷へ響く。
ゆっくりと顔を上げたその瞳には、もはや迷いはなかった。
裁判長は静かに問い掛ける。
「外務大臣レオンハルト」
「証言する意思はありますか」
レオンハルトは深く頷いた。
「あります」
「私は……すべてをお話しします」
法廷がどよめく。
グレゴールは鋭い視線でレオンハルトを睨みつけた。
しかし、その視線にレオンハルトはもう怯まなかった。
「暖房器具計画の改竄、公文書の差し替え、会計帳簿の改竄、関係者への口止め――そのすべては、宰相グレゴール閣下の命令でした」
「あの命令書に記された署名も、公印も、本物です」
「命令を下したのは、宰相グレゴール本人に間違いありません」
法廷は大きくざわめく。
レオンハルトは一度目を閉じ、静かに続けた。
「……そして、その陰謀は今回の事件だけではありません」
誰もが息を呑む。
「皇帝陛下と皇妃陛下の婚約披露宴で発生した毒殺未遂事件――あの事件も、宰相グレゴール閣下が計画したものです」
法廷に衝撃が走った。
「なっ……!」
「まさか、あの事件まで……!」
傍聴席から驚愕の声が上がる。
「披露宴当日、皇妃陛下が毒を見抜かなければ、多くの命が失われていたでしょう」
「しかし計画は失敗しました」
「それでも宰相閣下は諦めず、暖房器具計画を利用して皇帝陛下を失脚させようとしたのです」
「実行役への指示も、証拠隠滅も、すべて宰相閣下の命令でした」
静まり返った法廷に、レオンハルトの告白だけが響いていた。
その証言は、これまで提出された数々の証拠と完全に一致していた。
決裁指示書。
管理台帳。
文書鑑定報告書。
会計監査報告書。
関係者たちの証言。
そして、命令書。
積み重ねられた証拠は、一つひとつが揺るぎない真実を示し、すべてが一人の男へと繋がっていた。
裁判長は静かにグレゴールへ視線を向ける。
「宰相グレゴール」
「これでも、なお否認を続けますか」
グレゴールは勢いよく立ち上がった。
「違う!」
「レオンハルトが嘘をついている!」
「私は命令などしておらん!」
「すべてこいつの独断だ!」
怒号が法廷へ響き渡る。
しかし、裁判長は静かに命令書を掲げた。
「では、この命令書にある署名と公印について、どう説明されますか」
グレゴールは一瞬言葉に詰まる。
それでも必死に叫んだ。
「偽造だ!」
「誰かが私を陥れるために作った偽物だ!」
「証人も全員買収されている!」
「こんな裁判は認めん!」
机を叩き、声を荒らげる。
その姿に、かつて帝国を支えた宰相としての威厳は、もはや微塵も残されていなかった。
傍聴席から向けられるのは、驚きではなく失望の眼差しだった。
裁判長は静かに法槌を打ち鳴らす。
「静粛に」
乾いた音が法廷へ響く。
それでもグレゴールはなおも何かを叫び続けていた。
だが、その叫びに耳を傾ける者は、もはや誰一人としていない。
法廷を支配していたのは、叫び声ではない。
積み重ねられた証拠と、揺るぎない真実だった。
帝国最大の陰謀。
その全貌は、ついに法廷の下へ白日のもとに晒されたのである。




