第182話 追い詰められる者たち
深夜。
帝都シュヴァルツブルク。
宰相府の一室は、重苦しい沈黙に包まれていた。
机の上には、魔導暖房器具事業に関する書類が無造作に積み上げられている。
その前に立つ宰相グレゴールの表情は険しかった。
向かいに立つのは、外務大臣レオンハルト。
かつて余裕に満ちていた二人の表情からは、その面影が完全に消え失せていた。
「決裁書の件はどうなった」
グレゴールが低い声で問い掛ける。
レオンハルトは苦々しい表情のまま答えた。
「処分したはずです」
「ですが……」
一瞬、言葉を詰まらせる。
「裁判所が保管庫の再精査を始めました」
その報告に、グレゴールの眉がぴくりと動いた。
「再精査だと……」
「はい」
「裁判所の命令により、暖房器具事業に関するすべての資料が改めて調査されています」
部屋に重い沈黙が落ちる。
グレゴールはゆっくりと椅子へ腰を下ろした。
「思った以上に動きが早いな」
レオンハルトも静かに頷く。
「皇帝側も何かを掴んだのでしょう」
「このままでは、いずれ……」
その言葉の続きを、誰も口にはしなかった。
二人とも、その結末を理解していたからである。
やがてグレゴールが鋭い視線を向ける。
「証拠は、本当にすべて始末したのだろうな」
レオンハルトは一瞬だけ表情を曇らせた。
「……もちろんです」
しかし、その僅かな間をグレゴールは見逃さなかった。
「本当だろうな」
その声音には、明らかな疑念が滲んでいる。
レオンハルトも不快そうに眉をひそめた。
「それは……私を疑っておられるのですか」
「疑われるような隙を見せた覚えはありません」
グレゴールは静かに目を細める。
「ならばよい」
「この計画は、一人でも裏切れば終わる」
冷たい一言が、部屋の空気をさらに凍りつかせた。
レオンハルトは胸の内で小さく呟く。
(本当に、この男を信用していいのか……)
(追い詰められれば、真っ先に私を切り捨てるのではないか)
一方、グレゴールもまた、同じような疑念を抱いていた。
(この男は、最後まで口を閉ざしていられるか……)
(いや……)
(追い詰められれば、必ず私を売る)
いつしか二人は、協力者ではなく、互いを警戒する存在へと変わり始めていた。
陰謀は、外から崩され始めただけではない。
その内側にも、確実に亀裂が入り始めていたのである。
その頃、帝国最高裁判所では、裁判長の命を受けた調査官たちが、暖房器具事業に関する膨大な資料の再精査を進めていた。
一枚の書類。
一つの署名。
わずかな違和感さえ見逃すまいと、慎重な調査が続けられている。
真実は、もうすぐそこまで迫っていた。
そして帝国最大の陰謀は、誰にも止めることのできない音を立てながら、静かに崩れ始めていたのである。




