第181話 偽りの署名
皇宮中央棟。
政務資料室のさらに奥にある保管庫。
決裁書の行方を追うエルンスト、ミア、そして皇兄クラウスの三人は、年代ごとに整理された書類棚を一つひとつ調べていた。
静まり返った保管庫には、羊皮紙をめくる音だけが響いている。
その時だった。
「ありました」
クラウスが一枚の羊皮紙を取り出す。
「これは……決裁書の控えだ」
エルンストとミアもすぐに駆け寄った。
羊皮紙には、魔導暖房器具事業の概要が記されている。
そして、その末尾には皇帝の決裁を示す署名があった。
「確かに……私の署名だ」
エルンストは静かに呟く。
筆跡は本人のものと寸分違わない。
長年その署名を見続けてきたクラウスでさえ、違和感を覚えないほど精巧だった。
「やはり決裁は行われていたのか」
クラウスは安堵したように息を吐く。
しかし、その隣でミアだけは小さく首を傾げていた。
「……おかしいです」
二人は同時にミアを見た。
「どうした、ミア」
エルンストが尋ねる。
ミアは決裁書から目を離さず、静かに答えた。
「この署名……違います」
「違う?」
クラウスが眉をひそめる。
「筆跡は陛下そのものです」
「ですが……」
ミアはゆっくりと目を閉じた。
次の瞬間、精霊眼が淡い光を宿す。
世界を満たす魔素が色彩を帯び、羊皮紙に宿る魔力の流れが鮮明に映し出された。
署名の部分だけが、淡く揺らめいている。
ミアは静かに息を呑んだ。
「やっぱり……」
「この署名には、陛下の魔力が残っていません」
「何だと……!」
クラウスは思わず目を見開く。
ミアは署名を指差しながら説明した。
「人が文字を書く時、その人の魔力は無意識のうちに文字へ宿ります」
「それは指紋のようなもので、一人ひとり異なります」
「私は精霊眼で、その違いを見ることができるんです」
エルンストは静かに署名を見つめた。
「つまり……」
ミアはゆっくりと頷く。
「筆跡は陛下そのものです」
「ですが、この署名に宿る魔力は陛下のものではありません」
「誰かが陛下の署名を精巧に偽造したのです」
保管庫は水を打ったような静寂に包まれた。
クラウスも息を呑む。
「そんなことが……」
ミアは真っ直ぐ署名を見つめ続ける。
「筆跡は真似できても、宿る魔力までは真似できません」
「だから、精霊眼には分かったんです」
エルンストは静かに拳を握り締めた。
「偽造文書か……」
クラウスも険しい表情で頷く。
「ああ」
「真犯人は決裁書を持ち去っただけではない」
「偽の決裁書まで用意し、証拠をすり替えていたということだ」
三人の間に重い沈黙が流れる。
消えた決裁書。
そして、新たに見つかった偽りの署名。
事件は、三人が想像していた以上に周到に仕組まれていた。
だが同時に――。
真犯人の残した痕跡は、確実にその姿を現し始めていた。
三人は互いに視線を交わす。
真実は、もうすぐそこまで迫っていた。




