第180話 消えた決裁書
深夜。
皇宮中央棟。
人気のない政務資料室には、古い羊皮紙の香りが静かに漂っていた。
灯火を頼りに、エルンスト、ミア、そして皇兄クラウスの三人は、魔導暖房器具事業に関する資料を一冊ずつ確認していく。
「開発計画書……異常なし」
クラウスは静かに書類を閉じる。
隣ではエルンストも次々と資料へ目を通していた。
「予算申請書」
「資材購入記録」
「研究日誌……」
どれも正式な記録であり、不自然な点は見当たらない。
ミアも机いっぱいに広げられた書類を丁寧に見比べていた。
「ここまで調べても、何も見つかりませんね……」
その時だった。
エルンストの手が、ぴたりと止まる。
「……待て」
低く響いたその一言に、ミアとクラウスも顔を上げた。
「どうしました?」
ミアが尋ねる。
エルンストは一冊の書類を机の上へ広げた。
「この事業は、予算申請を経て正式に決裁され、開始された国家事業だ」
「ならば当然、皇帝の決裁書が保管されていなければならない」
クラウスも静かに頷く。
「その通りだ」
「帝国では、すべての国家事業に決裁書の保管が義務付けられている」
三人は顔を見合わせると、資料棚を一つひとつ確認し始めた。
しかし――。
「ありません……」
ミアが小さく呟く。
何度探しても見つからない。
開発計画書はある。
予算申請書もある。
会議記録も、研究資料も残されている。
それなのに、本来あるはずの決裁書だけが、どこにも存在しなかった。
資料室は静寂に包まれる。
クラウスは棚の奥まで確認すると、険しい表情で振り返った。
「間違いない」
「決裁書だけが消えている」
エルンストは静かに目を細める。
「偶然ではない」
ミアも小さく頷いた。
「誰かが……持ち去ったのでしょうか」
クラウスは低い声で答える。
「その可能性が高い」
「決裁書だけが失われるなど、自然には起こり得ない」
エルンストは机の上へ並べられた書類を見つめた。
「暖房器具計画の中でも、最も重要な書類だけがない」
「つまり――」
クラウスがその言葉を引き継ぐ。
「誰かが意図的に隠したということだ」
その結論に、三人の表情が引き締まる。
ミアは静かに拳を握った。
「証拠隠滅……」
エルンストは静かに頷く。
「ああ」
「真犯人は、自らにとって都合の悪い証拠を消したのだ」
クラウスは資料室をゆっくりと見渡した。
「だが、裏を返せば――」
「この決裁書には、犯人がどうしても隠さなければならない事実が記されていたということになる」
その言葉に、部屋の空気が張り詰める。
消えた決裁書。
それは単なる紛失ではない。
帝国最大の陰謀へと繋がる、最初の決定的な痕跡だった。
三人は静かに顔を見合わせる。
真実は、確実にその姿を現し始めていた。




