第179話 兄弟
深夜。
皇宮。
皇帝代理執務室には、一つの灯火だけが静かに揺れていた。
皇帝代理クラウスは、山積みになった書類へ目を通していた。
皇帝裁判が始まって以来、眠れぬ夜が続いている。
その時だった。
コンコン。
静かなノックが執務室へ響く。
「入れ」
クラウスが短く答える。
扉がゆっくりと開いた。
黒い外套を深く被った二人の人物が姿を現す。
クラウスは怪訝そうに眉をひそめた。
「誰だ」
二人は静かに扉を閉めると、ゆっくりとフードを外した。
「……!」
クラウスは思わず立ち上がる。
「エルンスト……!」
「ミア……!」
「なぜここにいる!」
拘置所へ収監されているはずの二人が、目の前に立っていた。
エルンストは静かに頭を下げる。
「兄上」
「突然お訪ねした非礼をお許しください」
ミアも深く一礼した。
「申し訳ありません」
クラウスは二人を見つめたまま問い掛ける。
「一体、どういうことだ」
エルンストは静かに答えた。
「現在、拘置所には私たちの影武者が残っています」
「影武者……?」
クラウスは眉をひそめる。
ミアは静かに頷いた。
「私の友達である妖精が、私たちに変身してくれています」
「……妖精?」
クラウスは目を見開いた。
「待て、本物の妖精ということか?」
「伝承に語られる、あの妖精が実在するのか」
「はい」
ミアは穏やかに答えた。
「妖精は、火・水・風・土の四つの魔粒子――エレメントの身体を持つ生命体です」
「そのため、姿や形を自在に変えることができます」
「ですが、その姿を見ることができるのは、精霊眼を持つ私だけです」
クラウスは驚きを隠せない。
「では……」
「エルンストにも見えていないのか?」
エルンストは静かに首を横へ振る。
「はい」
「兄上」
「私にも妖精の姿は見えません」
「ですが、ミアを通して何度も助けられてきました」
「今回も、彼らが力を貸してくれています」
クラウスは小さく息を吐いた。
「世界は、まだ私の知らぬことばかりだな……」
しばらく静かな時間が流れる。
やがてクラウスは、エルンストへ向き直った。
「……すまなかった」
そう言うと、ゆっくりと頭を下げる。
エルンストは目を見開いた。
「兄上……!」
ミアも思わず息を呑んだ。
皇兄クラウスが、自ら頭を下げたのである。
クラウスは静かに続けた。
「私は、お前を信じ切ることができなかった」
「証拠ばかりを見て、お前自身を見ようとしなかった」
「兄として、お前を苦しめてしまった」
部屋は静まり返る。
エルンストは静かに首を横へ振った。
「兄上が謝る必要はありません」
「立場が違えば、私も同じ判断をしたでしょう」
「ですが最後には、私を信じてくださいました」
「それだけで十分です」
クラウスはゆっくりと顔を上げ、小さく微笑んだ。
「ありがとう」
短い一言だった。
しかし、その言葉には兄弟としての想いが込められていた。
そしてクラウスは真っ直ぐ二人を見据える。
「ここから先は、私も共に戦う」
「皇帝代理として」
「そして、お前の兄として」
「必ず真犯人を見つけ出そう」
エルンストは力強く頷いた。
「ああ」
「共に帝国を守りましょう」
ミアも静かに頭を下げる。
「よろしくお願いいたします」
クラウスは穏やかに頷いた。
「こちらこそ頼む、ミア」
「エルンストを支えてくれてありがとう」
ミアは少し照れたように微笑む。
「はい」
三人は互いに頷き合う。
兄弟の間にあったわだかまりは消え去り、心は一つになった。
真実を暴くため。
帝国を守るため。
そして、この陰謀へ終止符を打つため。
三人は新たな決意を胸に、真犯人を追う極秘捜査を開始するのだった。




