第175話 温もり
法廷は深い静寂に包まれていた。
皇太妃クラリッサの証言を、誰もが固唾を呑んで見守っている。
裁判長は穏やかな眼差しでクラリッサを見つめ、静かに問い掛けた。
「皇太妃陛下」
「最後に、一つだけお尋ねします」
クラリッサはゆっくりと頷いた。
「魔導暖房器具を、皇太妃陛下はどのようにお考えですか」
その問いに、クラリッサは少しだけ目を伏せた。
まるで遠い日の記憶を辿るように。
やがて静かに口を開く。
「初めて魔導暖房器具に触れた日のことを、今でもよく覚えております」
法廷は静まり返る。
「その温もりに包まれた瞬間――」
「私は、亡き夫ヴィルヘルム陛下のことを思い出しました」
寒い冬の夜。
そっと手を握ってくれた温かな手。
隣で優しく微笑んでくれた笑顔。
今はもう会うことのできない、最愛の人の温もり。
クラリッサは静かに微笑んだ。
「そして、幼かった頃のジークフリートのことも思い出しました」
まだ幼い皇子だった頃。
寒さに震えながら、自分の胸へ飛び込み、小さな身体を寄せて眠っていた我が子。
その小さな手の温もり。
無邪気な寝顔。
母として過ごした、かけがえのない日々。
クラリッサの瞳には、静かに涙が浮かんでいた。
「この暖房器具は……」
一度言葉を区切り、法廷中をゆっくりと見渡す。
「人を傷つけるためのものではありません」
その声は決して大きくない。
それでも、法廷の隅々まで静かに響き渡る。
「人を温めるためのものです」
「寒さに震える子どもたちを。」
「懸命に働く人々を。」
「年老いた方々を。」
「そして、大切な家族を。」
クラリッサは涙を拭い、優しく微笑んだ。
「この温もりは、人の命だけではありません」
「人の心までも温めてくれます」
「だから私は、この暖房器具が兵器であるなどとは、どうしても思えないのです」
法廷は、水を打ったような静寂に包まれた。
傍聴席では、静かに涙を拭う者の姿もある。
検察官は俯いたまま、一言も発することができなかった。
皇兄クラウスは静かに目を閉じる。
(母上……)
被告席では、エルンストが静かに母を見つめていた。
その瞳には、深い感謝の色が宿っている。
ミアもまた、溢れる涙をそっと拭った。
『……温かいね』
リリが小さく呟く。
『ああ』
アルも静かに頷いた。
『これが、本当に人のために生まれた魔導具なんだ』
法廷にいる誰もが、クラリッサの言葉を胸に刻んでいた。
その温もりは、人を裁くための法ではなく、人を想う心こそが真実を語るのだと、静かに教えてくれていた。




