第169話 揺らぐ天秤
その日の裁判が終了すると、人々は重い空気をまとったまま法廷を後にしていった。
誰もが同じことを考えている。
三人は潔白だった。
だが、事件は終わっていない。
帝国最高裁判所の廊下には、困惑と動揺が渦巻いていた。
「三人とも嘘をついていなかった……」
「では、一体誰が事件を計画したのだ」
「証拠は本物だったはずなのに……」
誰も答えを持たない。
ただ一つだけ確かなことは、裁判の流れが大きく変わったという事実だった。
その頃、最高裁判所の一室では、宰相グレゴールと外務大臣レオンハルトが向かい合っていた。
二人の表情からは、これまでの余裕が完全に消えている。
「まさか、ここまで覆されるとは……」
レオンハルトが苦々しく呟く。
グレゴールも険しい表情のまま頷いた。
「あの老魔導士……」
「まさか禁呪を利用してくるとは思わなかった」
服従の呪文。
あの一手によって、三人の証言は偽りなき真実であることが証明されてしまった。
計画は大きく狂い始めていた。
「このままでは……」
レオンハルトが低い声で言う。
「時間が経てば経つほど、我々に不利になります」
グレゴールは黙って窓の外を見つめた。
夕日に染まる帝都。
その景色を眺めながら、小さく呟く。
「まだ終わってはおらん」
「裁判は継続中だ」
その声には、これまで隠してきた焦りがわずかに滲んでいた。
一方、皇宮では、皇帝代理を務める皇兄クラウスが静かな執務室で一人、窓の外を眺めていた。
夕暮れの光が部屋を赤く染める。
クラウスはゆっくりと目を閉じる。
(エルンスト……)
(やはり、お前は反逆者ではなかった)
服従の呪文は嘘を許さない。
その禁呪が、弟の潔白を証明した。
もはや、その事実を疑う余地はない。
しかし――。
(ならば、一体誰がこの事件を計画したのだ)
その答えだけが見えない。
証拠は本物。
証言も本物。
それでも三人は潔白だった。
事件の全貌は、なお深い霧の中にあった。
クラウスは静かに拳を握る。
(必ず真相を突き止める)
(それが皇帝代理としての責務だ)
その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。
帝都でも、人々の間で裁判の話題が尽きることはなかった。
「陛下は潔白だったんじゃないか」
「いや、まだ判決は出ていない」
「でも、流れは変わったぞ」
民の声もまた、少しずつ変わり始めていた。
検察側へ大きく傾いていた帝国の天秤は、初めて被告側へと揺れ始める。
だが、その均衡はまだ脆い。
真相が明らかにならない限り、決着はつかない。
こうして皇帝裁判は、新たな局面を迎えた。
静かに傾き始めた天秤は、やがて帝国の命運そのものを左右する大逆転へと繋がっていく。
その時は、もう目前まで迫っていた。




