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第14話 皇太妃クラリッサ

 クロエとの騒がしい出会いから数日後。


 ミアは侍女に案内され、皇宮の離宮へ向かっていた。


「皇太妃陛下がお会いになります」


 その言葉に、自然と背筋が伸びる。


 皇太妃クラリッサ。


 先帝ヴィルヘルム四世の妃であり、現皇帝エルンストの母。


 そして、ヴァイスラント帝国で最も高貴な女性である。


 ミアはまだ正式に言葉を交わしたことがなかった。


 緊張を抱えながら、長い廊下を進む。


 窓の外では雪が降っていた。


 白い雪が静かに庭園を覆っている。


 やがて侍女が立ち止まった。


「こちらです」


 重厚な扉が開かれる。


 ミアは深く一礼した。


「ミア・ランベルトにございます」


 静寂が流れる。


 顔を上げると、窓辺に一人の女性が立っていた。


 長い銀髪。


 透き通るような白い肌。


 息を呑むほど美しい女性だった。


 だが、その美しさはどこか儚げである。


 まるで雪そのもののように。


 触れれば消えてしまいそうなほどに。


 皇太妃クラリッサはゆっくりと振り返った。


 蒼い瞳がミアを見つめる。


 その瞳はエルンストによく似ていた。


 だが、その奥には深い疲労と悲しみが沈んでいる。


「貴女がミア・ランベルトね」


「はい」


「そう」


 短い返答だった。


 歓迎の色はない。


 むしろ値踏みされているような視線だった。


 クラリッサは再び窓の外へ目を向ける。


 重苦しい沈黙が流れた。


「エルンストから話は聞いているわ」


 不意にクラリッサが口を開く。


「長旅だったそうね」


「はい」


「そう」


 そこで言葉が途切れる。


 そして――


「ですが、その程度で同情を求めるつもりなら見当違いよ」


 冷ややかな言葉だった。


 ミアは思わず息を呑む。


「皇妃候補なのでしょう?」


「はい」


「ならば結果を示しなさい」


 鋭い視線が向けられる。


 思わず背筋が伸びた。


「皇帝の隣に立つということは、華やかな衣装を纏うことではない」


 静かな声だった。


 しかし、その一言には重みがあった。


「国を支えること」


「民を守ること」


「皇帝と共に責任を背負うこと」


 一言一言が胸に突き刺さる。


 ミアは答えられなかった。


 王妃教育は受けてきた。


 礼儀作法も学んだ。


 歴史も。


 音楽も。


 ダンスも。


 だが――


 国を支えるとは何か。


 民を守るとは何か。


 真剣に考えたことなどなかった。


 クラリッサはそんなミアを見て眉を寄せる。


「なるほど」


「何も考えてこなかったのね」


 容赦のない言葉だった。


「覚悟はあるの?」


 問いかけられる。


 だが答えられない。


 胸が苦しくなる。


「ありません……」


 かすれるような声で答えた。


 クラリッサは静かに目を閉じた。


「そう」


 その声音には失望が滲んでいた。


「申し訳ありません」


 俯くミア。


 しかしクラリッサは首を横に振る。


「謝罪はいらないわ」


「無能でも努力する者には価値がある」


「けれど、自分に何が足りないのかも分からない者は厄介よ」


 ミアは唇を強く噛んだ。


 反論できない。


 何一つとして。


 その時だった。


 クラリッサが窓の外を見つめたまま呟く。


「私は二人失った」


 部屋の空気が変わる。


「夫を」


 雪が静かに降り続いている。


「息子を」


 先帝ヴィルヘルム四世。


 そして第二皇子ジークフリート。


 戦争と病によって奪われた家族。


 クラリッサは今もなお、その喪失を抱えて生きている。


「だから分かるの」


 その声は小さかった。


「失う痛みが」


 ミアは言葉を失った。


 婚約者を失った。


 家族を失った。


 居場所を失った。


 自分もまた、失う苦しみを知っている。


 だが――


 クラリッサの傷はもっと深い。


 もっと重い。


「エルンストは優しい子よ」


 不意にクラリッサが言った。


 ミアは目を見開く。


 冷徹皇帝と呼ばれる青年を、母はそんなふうに評するのか。


「優しすぎるくらいに」


 クラリッサは苦しげに微笑んだ。


「だからこそ」


 再び鋭い視線が向けられる。


「支えられない者は必要ない」


 厳しい言葉だった。


 だが理不尽ではない。


 そこには母としての願いがあった。


 息子を守りたい。


 幸せになってほしい。


 そんな切実な願いが。


「今の貴女では、あの子の重荷になる未来しか見えないわ」


 ミアは息を呑む。


「結果を示しなさい」


 クラリッサは静かに告げた。


「それまでは認めません」


「認める価値があると証明できるまでは、皇妃候補を名乗らないでちょうだい」


 面会はそこで終わった。


 離宮を後にする。


 長い廊下を歩きながら、ミアは胸の奥にある違和感に気付く。


 怖かった。


 厳しかった。


 歓迎もされていない。


 それなのに――


 不思議と悔しかった。


 認められたい。


 そう思ってしまった。


 家族には認めてもらえなかった。


 婚約者にも認めてもらえなかった。


 だが。


 皇太妃クラリッサには認められたい。


 そんな感情が胸の奥に芽生えていた。


 それはミア自身もまだ気付いていない、小さな変化の始まりだった。

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