第13話 宮廷筆頭魔導士クロエ
皇帝エルンストとの謁見を終えたミアは、案内された客室へ戻っていた。
暖炉の火は暖かい。
だが、胸の中は妙に落ち着かなかった。
「変な人だった……」
思わず呟く。
『変な人?』
リリが首を傾げる。
「だって」
ミアは困ったように笑った。
「冷徹皇帝だと思っていたのに」
『優しかったな』
アルが言う。
ミアは小さく頷いた。
怖い人だと思っていた。
冷たい人だと思っていた。
けれど実際は違った。
無表情ではあった。
寡黙でもあった。
それでも、その言葉には確かな温もりがあった。
少なくとも、ミアにはそう感じられた。
その時だった。
突然、部屋の窓が勢いよく開いた。
――バァン!
大きな音とともに、雪混じりの風が部屋へ吹き込む。
「きゃっ!?」
ミアは思わず飛び上がった。
『敵か!?』
アルが身構える。
『何者!?』
リリも慌てて飛び上がった。
そして――。
窓枠に、一人の女性が腰掛けていた。
「ふむふむ」
女性はミアをじっと見つめる。
「なるほどのぅ」
見た目は三十代ほど。
艶やかな長い黒髪に、妖しくも美しい紫色の瞳。
整った顔立ちは年齢を感じさせず、大人の色気と気品を漂わせていた。
「こう見えても今年で六十六じゃ」
女性は唐突にそう言った。
「へ?」
ミアは思わず間の抜けた声を漏らす。
「皆驚くから、先に言っておくのじゃ」
女性は満足そうに頷いた。
……変わった人だ。
座り方も。
言動も。
どこか常識から外れている。
「面白い娘じゃの」
「へ?」
ミアは固まった。
女性は窓から軽やかに部屋へ飛び降りる。
まるで自分の部屋へ帰ってきたかのような自然さだった。
「初めましてじゃな」
にっこりと笑う。
「クロエ・アストレアじゃ」
ミアは何度も瞬きを繰り返した。
「えっと……」
「ヴァイスラント帝国の宮廷筆頭魔導士を務めておる」
さらりと言われた一言に、ミアは慌てて立ち上がる。
「きゅ、宮廷筆頭魔導士様!?」
「様はいらん」
クロエはひらひらと手を振った。
「肩が凝るからの」
そう言うと、勝手にソファへ腰を下ろす。
さらに当然のようにティーポットを手に取り、お茶を注ぎ始めた。
まるでここが自室であるかのようだった。
ミアは混乱する。
皇宮で出会った人々は皆、礼儀正しく落ち着いていた。
だが――。
この人だけは何かがおかしい。
『変なやつだ』
アルが呟く。
『変な人だね』
リリも真顔で頷いた。
クロエはミアを見つめたまま、ふっと目を細めた。
「ほぅ……」
その視線に、ミアの心臓が小さく跳ねる。
思わずリリとアルへ目を向ける。
しかし、クロエの視線は最初から最後までミアだけに向けられていた。
妖精たちが見えている様子はない。
それなのに、何かを見抜いたような笑みを浮かべている。
「なるほど、なるほど」
「実に面白いのぅ」
何が面白いのか分からない。
ミアは居心地が悪そうに身じろぎした。
「その……」
「なんじゃ?」
「何が面白いのでしょうか……?」
クロエは愉快そうに笑う。
「全部じゃな」
「全部?」
「まず、エルンストがおぬしを気に入っておる」
「え?」
ミアは目を丸くした。
「そんなことありません」
「ある」
「ありません」
「ある」
即答だった。
ミアは困惑する。
クロエは満足そうに何度も頷いた。
「ふむ。やはり面白い娘じゃ」
そう言って、お茶を一口飲む。
まるで難解な謎を解いた学者のような笑みだった。
「エルンストはな」
クロエが静かに口を開く。
「基本的に他人へ興味を示さん」
「そうなのですか?」
「そうじゃ」
クロエは肩をすくめた。
「じゃが今日は違った」
ミアは先ほどの謁見を思い返す。
――長旅、ご苦労だった。
ただ、その一言。
それだけだった。
それでも、不思議と心が温かくなった。
「安心せい」
クロエは優しく笑う。
「エルンストは怖い男ではない」
ミアは小さく苦笑した。
「皆さん、そうおっしゃいますね」
「皆さん?」
「あ……いえ」
リリとアルのことは言えない。
クロエは何となく察したようだったが、それ以上は追及しなかった。
「まあよい」
そう言って立ち上がる。
向かった先は――また窓だった。
「それでは、また来るぞ」
「え?」
「また?」
「もちろんじゃ」
クロエは楽しそうに笑った。
「面白い娘じゃからの」
そして――。
来た時と同じように、ひらりと窓から飛び出していった。
ミアは慌てて窓辺へ駆け寄る。
下を覗き込む。
だが、そこには誰の姿もなかった。
「消えた……」
『変人だな』
『変な人だね』
アルとリリが同時に呟く。
ミアも深く頷いた。
「うん……」
「本当に変な人」
だが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
むしろ――。
少しだけ楽しかった。
こうしてミアは、ヴァイスラント帝国が誇る宮廷筆頭魔導士、クロエ・アストレアと出会う。
後に彼女がミアの師となり、母のように慕う家族同然の存在となっていくことを、この時のミアは、まだ知らなかったのである。




