第164話 服従の呪文
法廷は重苦しい沈黙に包まれていた。
裁判長と二名の陪席判事は別室へ下がり、長時間にわたる協議を続けている。
禁呪――服従の呪文。
その使用を認めるか否か。
それは帝国司法の根幹を揺るがしかねない前例となる。
誰一人として軽々しく判断できる問題ではなかった。
やがて法廷の扉が開き、裁判長たちが静かに席へ戻る。
法廷中の視線が、一斉に裁判長へ集まった。
固唾を呑み、その口が開かれるのを待つ。
裁判長は法廷全体をゆっくりと見渡し、厳かに告げた。
「長時間の協議の結果を申し渡します」
法廷は水を打ったように静まり返る。
「服従の呪文は、帝国法によって使用を禁じられた禁呪です」
「本来であれば、その使用を認めることはできません」
傍聴席から安堵の吐息が漏れ始めた。
しかし、裁判長は静かに言葉を続ける。
「ですが、本件は帝国建国以来初となる現職皇帝裁判であり、国家存亡にも関わる極めて重大な事件です」
「我々は、真実の解明を何よりも優先すべきであるとの結論に至りました」
一拍置き、力強く宣言する。
「よって本裁判に限り、帝国法の例外措置として、服従の呪文の使用を特別に許可します」
一瞬の静寂。
そして次の瞬間――。
「なっ!?」
「認めたのか!?」
「前代未聞だ!」
法廷は大きくどよめいた。
裁判長は木槌を打ち鳴らす。
「静粛に!」
「静粛に!」
乾いた音が法廷へ響き渡り、ようやく騒ぎは収まっていく。
裁判長は厳しい表情のまま続けた。
「これは、あくまでも本裁判に限る特例措置です」
「今後の判例となるものではありません」
「また、服従の呪文は厳重な監視の下で執り行います」
「術式の発動から証言終了まで、裁判所が一切を監督します」
「術者による不正な干渉は、一切認めません」
クロエは静かに一礼した。
「異存ありません」
検察官もゆっくりと頷く。
「検察側も異議はありません」
法廷中央では、宮廷魔導士たちによって巨大な魔法陣が描かれていく。
術式に異常がないか、一つひとつ入念な確認が行われる。
さらに裁判所直属の魔導監察官たちが法廷を取り囲み、幾重もの監視体制が敷かれた。
禁呪の執行は、この厳重な監視の下でのみ許される。
誰もが息を呑んで見守る中、クロエはゆっくりと魔法陣の中央へ歩み出た。
老魔導士は静かに杖を掲げる。
その瞬間――。
法廷中の空気が一変した。
濃密な魔力が法廷を包み込み、誰もが本能的な畏怖を覚える。
『すごい魔力……』
リリが思わず身を震わせる。
『これが禁呪……』
アルも息を呑み、クロエを見つめた。
クロエは静かに振り返る。
「陛下」
「ミア殿」
「証言台へ」
エルンストは静かに立ち上がった。
ミアも深く息を吸い、小さく頷く。
二人はゆっくりと証言台へ歩み出る。
法廷中の視線が、その一歩一歩へ注がれていた。
こうして帝国建国以来、誰一人として目にしたことのない禁呪による証言が、今まさに始まろうとしていたのである。




