第160話 悪役になる覚悟
その日の審理は終了した。
裁判長の木槌が鳴り響き、法廷は一時休廷となる。
検察側優勢――。
誰の目にも、そう映っていた。
提出された膨大な証拠。
積み重ねられた証言。
揺らぎ始めた民心。
帝国建国以来初となる現職皇帝裁判は、検察側の思惑どおりに進んでいた。
傍聴席を後にする貴族たちも、小声で囁き合う。
「ここまで証拠が揃っているとは……」
「無罪は難しいかもしれんな」
「皇帝陛下も、ついに終わりか……」
その声は静かに法廷を満たし、やがて夜の帝都へと消えていった。
被告であるエルンスト、未来の皇妃ミア、クロエの三人は、厳重な警備のもと再び拘置所へ戻される。
冷たい石壁。
重い鉄格子。
自由を奪われた空間。
それでもエルンストの表情に焦りはなかった。
「今日は疲れただろう」
静かに微笑み、ミアへ声を掛ける。
ミアは小さく首を横に振った。
「私は大丈夫です」
「でも……」
今日一日だけでも、多くの人々が自分たちへ疑いの目を向け始めた。
そう思うと胸が締め付けられる。
『大丈夫だよ』
リリがそっと肩へ寄り添う。
『絶対に負けないもん』
『まだ終わったわけじゃねぇ』
アルも力強く言った。
その言葉に、ミアは小さく微笑む。
「ありがとう」
エルンストも静かに頷く。
「真実は変わらない」
「必ず証明される」
その瞳に、一片の迷いもなかった。
深夜。
拘置所は静寂に包まれていた。
石造りの廊下には、見張りの足音だけが規則正しく響いている。
クロエに与えられた独房。
小さな机の上には、弁護人を通じて届けられた裁判資料や証言録が山のように積まれていた。
クロエは椅子へ腰を下ろし、一枚、また一枚と資料を読み返していく。
「ふむ……」
小さく呟きながら、同じ箇所を何度も見返した。
証拠は本物。
証言も嘘ではない。
だからこそ厄介だった。
「本物だけを使って、偽りの物語を作り上げるとは……」
老魔導士は苦く笑う。
「実によく考えたものじゃ」
感情論では勝てない。
正義を叫ぶだけでも勝てない。
法廷で必要なのは、法によって真実を証明すること。
クロエは静かに目を閉じた。
証拠。
証言。
裁判の流れ。
検察官の狙い。
自分たちに残された手段。
一つひとつを頭の中で組み立て直していく。
長い沈黙が流れた。
やがてクロエは、ゆっくりと目を開く。
その瞳には、静かな決意が宿っていた。
「証拠では覆せぬなら……」
小さく息を吐く。
「法廷そのものを変えるしかあるまい」
その方法は、帝国中の誰もが忌み嫌う禁じられた術。
使えば、自らも非難を浴びるだろう。
裏切り者と罵られるかもしれない。
それでも構わない。
エルンストとミアを救い、帝国を守れるのなら。
クロエは小さな格子窓から夜空を見上げた。
星々が静かに輝いている。
誰にも聞こえぬほど小さな声で、老魔導士は呟いた。
「……ならば、わしが悪役になろう」
その一言には、すべての覚悟が込められていた。
こうして静かに打たれた一手は、やがて帝国の命運を左右する大逆転劇の幕開けとなる。
まだ誰一人、そのことを知る者はいなかった。




