第153話 皇兄クラウス、皇帝代理就任
皇帝エルンスト。
皇妃ミア。
宮廷筆頭魔導士クロエ。
三人が国家反逆罪の容疑で勾留された翌日――。
ヴァイスラント皇宮では、緊急評議会が開かれていた。
議場を包む空気は重い。
誰一人として軽々しく口を開く者はいない。
現職皇帝が勾留されるという、帝国建国以来初の事態。
帝国の中枢は、かつてないほど大きく揺れていた。
やがて、宰相グレゴールがゆっくりと立ち上がる。
「諸君」
「陛下が勾留された以上、このまま国政を止めるわけにはまいりません」
低く響く声に、多くの重臣が静かに頷いた。
続いて、外務大臣レオンハルトが一歩前へ進み出る。
「今、この国を導ける御方は、ただお一人」
「クラウス皇兄殿下の他にはおりませぬ」
その言葉を合図としたように、第一皇子派の貴族たちが次々と賛同の声を上げる。
「まさしく、その通り」
「クラウス皇兄殿下ならば帝国をお守りくださる」
「一日たりとも国政を止めるわけにはまいりません」
誰もが帝国を憂う忠臣のように振る舞っていた。
だが、その裏でグレゴールとレオンハルトは、ほんの一瞬だけ視線を交わす。
すべては計画どおり。
クラウスを皇帝代理へ据えることもまた、二人が描いた筋書きの一つだった。
議長は静かに立ち上がり、厳かに告げる。
「帝国憲章第十二条に基づき、皇帝不在の間、クラウス皇兄殿下を皇帝代理へ任ずる」
「異議ある者はいるか」
議場は静まり返った。
反対の声は、誰一人として上がらない。
「……よって、本日よりクラウス皇兄殿下を皇帝代理とする」
コン――。
木槌の音が静かに響き渡る。
その瞬間、クラウスは皇帝代理へ就任した。
しかし、その表情に喜びはなかった。
皇帝代理という栄誉。
それは、最も望まぬ形で与えられた重責だった。
(こんな形で……この席に座ることになるとは)
評議会を終えたクラウスは、一人、皇帝執務室を訪れる。
重厚な扉を静かに開く。
見慣れた執務室。
窓の向こうには帝都シュヴァルツブルクの街並みが広がり、机には政務書類が整然と積み上げられていた。
そして、その中央に置かれた皇帝の椅子。
本来なら、弟エルンストが座るべき場所だった。
クラウスはゆっくりと腰を下ろす。
その瞬間、想像を遥かに超える重圧が肩へとのしかかった。
「……重いな」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。
皇帝とは、ただ国を治める者ではない。
帝国の未来を。
国民の命を。
すべてを背負う存在なのだ。
その日の夕刻。
クラウスは勾留中のエルンストとの面会を許された。
厚い鉄格子を挟み、兄弟は静かに向かい合う。
「兄上」
エルンストが穏やかに微笑む。
「皇帝代理になられたそうですね」
「ああ」
クラウスは静かに頷いた。
「帝国憲章に従った結果だ」
短い沈黙が流れる。
やがてクラウスは、弟を真っ直ぐ見つめた。
「エルンスト」
「私は、お前を信じている」
「だが同時に、皇帝代理として法を曲げることはできない」
「この裁判には一切口を挟まぬ」
「真実が法廷で証明されることを願うだけだ」
エルンストは静かに笑みを浮かべた。
「それでいいのです、兄上」
「兄上は兄上の務めを果たしてください」
「それが帝国のためになります」
その言葉に、クラウスはゆっくりと目を閉じる。
弟を助けたい。
無実を叫びたい。
だが、それをすれば法は死ぬ。
法が死ねば、帝国もまた滅びる。
兄としての情。
皇帝代理としての責務。
二つの想いは、最後まで交わることはなかった。
面会を終えたクラウスは、静かに拘置所を後にする。
夕焼けに染まる帝都を見上げ、小さく呟いた。
「必ず真実を明らかにしよう」
「兄としてではない」
「皇帝代理としてでもない」
「帝国の法を守る者として」
その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。
こうして皇兄クラウスは、弟を信じる兄としての想いを胸に秘めながらも、公正なる皇帝代理として帝国史に残る裁判を見届けることを、静かに誓うのだった。




