第150話 信じたい者たち
帝国議会議場は、大きなどよめきに包まれていた。
用途不明の予算。
消えた魔法石。
軍事研究を命じたとされる皇帝勅令。
極秘外交文書。
そして、それらを裏付ける数々の証言。
一つひとつだけを見れば決定的とは言えない。
だが、それらが積み重ねられた今、人々の心は確実に揺らぎ始めていた。
「信じられない……」
「だが、この証拠では……」
「ここまで一致するとなると……」
議員たちは互いに顔を見合わせ、小声で囁き合う。
誰も断定はしない。
しかし、誰も完全には否定できなかった。
監査局長は静かに議場を見渡す。
その沈黙こそが、人々の胸に芽生えた疑念を、より一層大きく育てていた。
皇族席では、ミアが固く拳を握り締めていた。
「違います……」
「全部、違います……」
震える声は、誰にも届かない。
『お願いだから信じないで!』
『エルンストは何も悪くない!』
リリとアルは必死に叫ぶ。
『全部嘘なんだよ!』
しかし、その声が届くのはミアだけだった。
ミアは唇を強く噛み締める。
真実を知っている。
それなのに、その真実を証明する術がない。
あまりにも無力だった。
エルンストは静かに議場を見渡していた。
表情は変わらない。
だが、その瞳だけは鋭く資料の一つひとつを見つめている。
(証拠……)
(証言……)
(すべてが一本の筋書きになるよう作られている)
偶然ではない。
誰かが明確な意図を持ち、長い年月をかけて積み上げたものだ。
そんな確信だけが胸の奥で静かに広がっていく。
クロエも険しい表情を崩さなかった。
「……ここまで周到とはのう」
「一つひとつは些細な違和感。」
「じゃが、それを積み重ねれば誰も疑わなくなる」
苦々しく呟く。
長年宮廷に仕えてきた彼でさえ、この場で偽りを見抜くことはできなかった。
一方。
皇兄クラウスは、手元の資料を何度も読み返していた。
用途不明の予算。
所在不明の魔法石。
勅令。
外交文書。
証言。
どれも、一見すれば見事なまでに辻褄が合っている。
だが――。
(違う)
心の中で何度も否定する。
(エルンストは、そんな男ではない)
幼い頃から知っている。
誰よりも民を想い。
誰よりも己に厳しく。
誰よりも帝国を愛してきた弟だ。
私利私欲とは無縁の男。
その弟が、自ら国を裏切るなど、あり得るはずがなかった。
(だが……)
クラウスは静かに目を閉じる。
信じたい。
いや、信じている。
それでも、目の前へ積み重ねられていく証拠は、その信念を容赦なく揺さぶってくる。
(なぜだ……)
(なぜ、こんな証拠ばかりが出てくる)
(何かがおかしい)
(だが、その”何か”が分からない……)
胸が締めつけられる。
弟を信じる心と、次々に突き付けられる証拠。
二つが激しくぶつかり合い、思考は出口を失っていた。
議場でも、少しずつ声が変わり始める。
「もし本当なら……」
「帝国始まって以来の大事件だ」
「まだ断定はできぬ」
「だが、疑わざるを得ん……」
疑念は、静かに広がっていく。
誰か一人が煽ったわけではない。
一人ひとりの胸に芽生えた小さな疑いが、やがて隣の人間へ伝わり、議場全体をゆっくりと染め上げていく。
それこそが、黒幕たちの狙いだった。
一年以上という歳月をかけて積み上げられた偽りは、今や人々の常識そのものを書き換え始めている。
そして、この重苦しい沈黙の先に待つものは――。
皇帝エルンストへ向けられる、決定的な告発だった。




