第143話 議会前夜
帝国議会の開会を翌日に控えた夕刻。
帝都には、どこか落ち着かない空気が漂っていた。
市場では商人たちが店先に並び、小声で噂話を交わしている。
「明日の議会で監査報告があるらしいな」
「暖房器具事業の件だとか」
「ただの定例監査じゃないのか?」
「さあな。臨時議会だって話だ」
酒場でも、同じ話題が飛び交っていた。
「監査局が本格的に調べているらしい」
「何か見つかったのか?」
「いや、それは誰も知らない」
「議会で分かるだろう」
人々は不安げに言葉を交わす。
しかし、その不安は漠然としたものだった。
皇帝を疑う者は、まだほとんどいない。
ただ、これまでにない規模の監査と臨時議会が、人々の胸に小さなざわめきを生み出していた。
一方その頃。
ヴァイスラント皇城、魔導研究室。
エルンスト、ミア、クロエは、新たな魔導具の資料を整理していた。
「試験結果も良好ですね」
ミアが報告書をまとめながら微笑む。
クロエも満足そうに頷いた。
「うむ。これで各地への配備も進められるのう」
エルンストは静かに資料へ目を通し、小さく頷く。
「正式な認可手続きを進めよう」
「これで、多くの民の暮らしがさらに便利になる」
「はい」
ミアは嬉しそうに頷いた。
『やったぁ!』
『またみんなが喜ぶね!』
リリとアルは研究室いっぱいを飛び回り、楽しそうな笑い声を響かせる。
その笑顔は、いつもと何ひとつ変わらない。
穏やかで、平和な一日だった。
やがてクロエが窓の外へ目を向ける。
「明日は議会じゃな」
「監査報告もあると聞いておる」
エルンストは静かに頷いた。
「ああ」
「国家事業である以上、監査を受けるのは当然だ」
「問題がないことを確認してもらえれば、それで十分だ」
その言葉に迷いはない。
ミアも穏やかに微笑む。
「皆さんにも安心していただけますね」
誰も疑っていなかった。
監査とは、公正に事業を確認するためのもの。
そう信じていた。
だからこそ、自分たちへ向けられた告発など、考えたこともなかった。
一方、皇城の地下深く。
秘密の執務室では、グレゴールとレオンハルトが静かに向かい合っていた。
「帝都にも噂が広がり始めました」
側近の報告に、レオンハルトは静かに頷く。
「十分だ」
「疑念とは、大きな声では生まれない」
「小さな噂が、人から人へ渡ることで育つ」
グレゴールは燭台の炎を見つめ、小さく呟いた。
「明日、この帝国の空気は変わる」
「そして、一度失われた信頼は二度と元には戻らぬ」
静かな声だけが、石壁へ溶けていく。
皇城の上では、人々が穏やかな夜を迎えていた。
皇城の下では、最後の歯車が静かに噛み合う。
誰もまだ知らない。
明日の議会が、帝国の歴史を大きく変える一日となることを。
そして、皇帝エルンストと未来の皇妃ミアの運命が、その瞬間から大きく動き始めることを。




