第141話 最後の平穏
帝国議会の開催を数日後に控えたある日。
ヴァイスラント皇城、魔導研究室には、今日も穏やかな時間が流れていた。
机の上には、新たな魔導具の試作品が並べられている。
魔導暖房器具に続き、人々の暮らしをさらに豊かにするための新たな発明。
エルンスト、ミア、クロエの三人は、最後の調整を終えようとしていた。
「それでは、起動します」
ミアは魔法石へそっと魔力を流し込む。
次の瞬間。
魔導具は淡い光を放ち、静かな駆動音とともにゆっくりと動き始めた。
術式は安定している。
魔力の流れにも乱れはない。
設計どおりの性能を発揮していることが、一目で分かった。
ミアは思わず笑みを浮かべる。
「……成功です!」
その声に、クロエは何度も大きく頷いた。
「うむ!」
「実に見事じゃ!」
「これなら帝国中で安心して使えるのう」
エルンストも試作品を手に取り、静かに動作を確かめる。
しばらく観察を続けた後、小さく頷いた。
「問題ない」
「正式採用としよう」
短い言葉だった。
しかし、その一言だけで、ミアの表情はぱっと明るくなる。
「ありがとうございます、陛下」
その様子を見たクロエは、くすりと笑った。
「陛下も昔に比べると、ずいぶん表情が柔らかくなられましたな」
エルンストは少しだけ視線を逸らす。
「……そうだろうか」
「そうじゃとも」
クロエは楽しそうに笑う。
「以前なら『問題ない』の一言で終わっておった。それが今では、ちゃんと喜びが顔に出ておる」
ミアも優しく微笑んだ。
「私も、そう思います」
エルンストは照れ隠しのように小さく咳払いをする。
「……次の研究へ移ろう」
その様子がおかしくて、研究室には穏やかな笑い声が広がった。
その時だった。
『やったぁー!』
リリが勢いよく宙へ舞い上がる。
『また完成したよー!』
『すごい、すごい!』
アルも両手を突き上げ、大きく笑った。
『これでまた、みんなが幸せになるぞ!』
『次は何を作るんだ?』
二人は研究室いっぱいを飛び回り、喜びを全身で表している。
その姿を見て、ミアも自然と笑顔になった。
「二人とも、本当に嬉しそうですね」
『もちろん!』
『みんなが笑顔になるの、大好きだから!』
リリは満面の笑みで答える。
エルンストも静かに頷いた。
「それが、この研究の目的だからな」
人々の暮らしを少しでも便利にすること。
寒さや不便さから人々を救うこと。
誰もが安心して暮らせる帝国を築くこと。
そこに野心はない。
権力欲もない。
あるのは、民の幸せを願う純粋な思いだけだった。
窓の外では、柔らかな春風が木々を揺らし、穏やかな陽光が皇城を優しく包み込んでいる。
研究室には、今日も笑顔が絶えなかった。
その笑顔を見ているだけで、この平穏な日々がいつまでも続いていくように思えた。
しかし、その同じ皇城の地下深くでは――。
偽りの帳簿。
偽りの勅令。
偽りの外交文書。
偽りの証言。
そして、偽りの監査報告。
すべての歯車が音もなく噛み合い、巨大な陰謀は完成の時を待っていた。
皇城の上では笑顔があふれ。
皇城の下では悪意が育つ。
光が強く輝くほど、その影はより深く濃くなる。
誰も知らない。
この穏やかな日常が、もう間もなく終わりを迎えようとしていることを。
そして、この研究室に響く笑い声が、帝国史上最大の冤罪事件の幕開けを前にした、最後の平穏であったことを――。




