第130話 偽りの監査
数日後。
ヴァイスラント皇城。
帝国監査局では、朝早くから慌ただしい空気が流れていた。
監査局とは、帝国の財政や各省庁の会計を監督し、不正がないか調査する中立機関である。
本来であれば、皇帝であろうと貴族であろうと、公平な立場で監査を行うことを使命としていた。
その日、監査局長は数名の監査官を前に、一枚の命令書を掲げる。
「本日より、魔導暖房器具事業に関する特別監査を実施する」
監査官たちは一斉に頭を下げた。
「はっ」
誰もが真剣な表情を浮かべている。
だが、その中には宰相グレゴールと外務大臣レオンハルトの息がかかった者たちが紛れ込んでいた。
監査は粛々と始まる。
帝国会計局。
認可工房。
魔導研究室の予算管理部門。
帳簿や納品書、出納記録が次々と机へ運び込まれ、監査官たちは一枚一枚丁寧に内容を照合していく。
もちろん、表向きは極めて公正な監査だった。
昼過ぎ。
一人の監査官が、不意に声を上げる。
「……これは?」
周囲の視線が一斉に集まった。
監査官は一冊の帳簿を手に、首を傾げている。
「魔導暖房器具事業の収支報告ですが……数字が合いません」
「どういうことだ」
監査局長が歩み寄る。
監査官は帳簿を開きながら説明した。
「こちらでは魔法石購入費が計上されています。しかし別の帳簿では、その一部の支出先が記録されておりません」
「金額にも食い違いがあります」
監査局長は険しい表情で眉をひそめた。
「確認しろ」
「他の年度の帳簿も調べるのだ」
「承知しました」
監査官たちは慌ただしく別の帳簿を運び込み、照合作業を進めていく。
やがて――。
「こちらにも同じような記録があります」
「この年度にも不明金があります」
「こちらも一致しません」
次々と報告が上がった。
もちろん、それらは偶然見つかったものではない。
すべて黒幕たちが事前に改竄し、この日に発見されるよう仕組まれていた帳簿だった。
しかし、その場にいる誰もが、本当に監査によって発見された不正だと思い込んでいた。
一人の若い監査官が、困惑した表情で呟く。
「まさか……」
「皇帝直属事業で、このようなことが……」
その言葉に、部屋は重苦しい空気に包まれる。
監査局長は静かに帳簿を閉じた。
「現時点では断定するな」
「これは極秘案件とする」
「外部へ漏らすことは一切許さん」
「引き続き調査を続行する」
「はっ!」
監査官たちは力強く返事をした。
その中で、黒幕側の監査官だけが、誰にも気付かれぬよう小さく口元を緩める。
一方その頃。
皇城の魔導研究室では、エルンスト、ミア、クロエが新たな魔導具の試作品を囲んでいた。
「魔力効率は、さらに改善できそうです」
ミアが嬉しそうに報告すると、クロエは満足そうに頷く。
「うむ。あと一歩じゃな」
エルンストも試作品を見つめ、静かに口を開いた。
「完成すれば、多くの民の役に立つ」
『頑張れー!』
『もう少しだぞ!』
リリとアルは机の上を飛び回り、研究室には笑い声が響いていた。
誰も知らない。
その同じ皇城の中で、自分たちを陥れるための「監査」が始まっていることを。
監査とは、本来、真実を明らかにするためのもの。
だが、その真実さえも書き換えられていたなら。
監査は正義ではなく、偽りを証明する刃へと姿を変える。
こうして黒幕たちは、長い年月をかけて作り上げた偽りの証拠を、今度は「公正な監査によって発見された事実」へと変え始めるのだった。




